大井道(恵那市明智町〜山岡町)


大井道は中山道の大井宿と中馬街道の明智宿を結ぶ街道である。
中馬街道を歩いて明智宿に入った時、大井街道の存在を知り、「歴史の道 大井道・中馬街道」(岐阜県教育委員会 昭和58年3月発行)に従って大井宿まで歩いてみることにした。
なるべくこの資料に忠実にコースを選んだため、明智町から山岡町にかけては山道を歩くことが多く、しかもこの資料がまとめられてから26年も経過しており、その後消えてしまった道も少なくなかった。
山道をたどってみても街道を偲ばせるような痕跡はほとんど見当らなかったが、放っておけばこのように過去から引き継いだ貴重な財産は消滅する一方なので、行政をはじめとして住民諸氏においても、その保存の努力を期待したいものである。
なお、移動軌跡のコース地図は、2回に分けて歩いた結果を1つにまとめたものである。

コース(主要地点間のみ):P 駐車場→2.9km→Cの地点→3.9km→黒羽根石仏群(Eの地点)→
    2.2km(山岡小学校方面への寄り道を含まない)→城ヶ峰庚申堂(Fの地点)→0.7km→円
    徳寺(Gの地点)→1.9km→日吉神社(Hの地点)→2.3km→Kの地点(今回のゴール)
日付:平成21年5月10日(日)、23日(土)
天候:いずれも晴れ
所要時間:推定3時間50分(休憩時間を除く。)
歩行距離:13.9km

    コース地図を開く  ここをはじめてクリックするとプラグインのインストール画面が
            (初期値は1/10000)      表示されるので、「はい」をクリックする。不具合が発生した
                                 場合はこちらの「8」参照

                                 なお、念のため他のウィンドウをすべ閉じておくこと。


  (移動軌跡データファイルのみの呼び出し方法および地図の利用上の留意点)
 
1.この上にカーソルを当て、右クリックで「対象をファイルに保存」を選択し、デスクトップに「移動の軌跡
  データ」を保存します。ここでは、そのファイルは開かないでください。

2.国土地理院の電子国土ポータルへジャンプする。
3.国土地理院のプラグインのインストール画面が表示されたら、「はい」を選択する。
4.小さな日本地図が表示されるので、「ファイルを開く」(ボタンは画面右側の作図パネルの下部に隠れている)で、
  先ほどデスクトップに保存したファイルを指定して、それを開くと、地図の上に「移動の軌跡」が合成される。
5.この状態では、まだ地図の縮尺が小さいので、縮尺スケールが600mほどまで拡大して利用します。地図の表示
  窓が小さいので見にくいが、印刷結果はとても鮮明です。不要になったら、デスクトップのファイルは削除してくだ
  さい。
  地図の呼び出し方について、詳しくはこちら

6.留意点
 (1)地図上の赤線はGPSよる移動の軌跡を、手書きで地図に転記したもので、実際の軌跡データとは若干の誤差が
   ある。
 (2)地図上での経緯度線の表示は省略した。
 (3)地図と緯度経度の関連付けをより明確に知るにはカシミール3Dのホームページのフリーソフトを利用されたい。

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(各地点の説明)

       P 駐車場【北緯35度18分07秒 東経137度24分02秒】。道路の拡幅工事の都合で作られたと
     思われる休憩所に6台分の駐車スペースあり。
   @団子杉送水ポンプ所【北緯35度18分12秒 東経137度24分06秒】。ポンプ所の裏側は現在
     薮になているが旧街道の跡と思われる。
     薮をかき分けて北西に進むと、かろうじて踏み跡をたどることができる。
     ここから南東方向へ向かう道は消失していて、中馬街道との分岐点は不明。
   A石仏【北緯35度18分16秒 東経137度24分04秒】。薮を通り、峠を越してまもなく(ポンプ所
     から150m)右側に安政5年と刻まれた石仏が1体ある。
     石仏から300mほど北西に進むと、細い農作業用の舗装道路に出る。
   B石仏群【北緯35度18分48秒 東経137度23分52秒】。南無阿弥陀仏碑、庚申碑、各種石仏
     などがある。石仏には、宝暦、嘉永、慶応などの造立銘が確認できる。
     この地点からCの地点へ向かうには、原資料によるとさらに北上した後、左へコースをとる
     ように説明されていたが、そのコースははっきりしなかったので、とりあえず石仏群の横の
     階段を上り、石原田配水場方面へ向かった。
     Cの地点へ出る直前で木から木へ飛び移る動物を見た。一瞬ムササビかと思ったが、日
     中でもあり多分リスだったのだろう。
   Cの地点【北緯35度19分02秒 東経137度23分39秒】。リス発見地点から急坂を登り、広い舗
     装道路に出た。この道路を10mほど右へ進み急な山道を登った。これが街道跡かどうか
     疑問だが方向は正しいはずだ。薮の中を200mほど進むと左奥に墓石がいくつかみえた。
     さらに坂を下り、民家の庭を通り抜けて舗装道路に出た。
   D弥勒殿【北緯35度19分24秒 東経137度23分11秒】。国道363号に弥勒殿の案内標識が
     あったので立ち寄った。耳の病にご利益があり、何十本も錐が奉納されていた。
     境内には石仏群(馬頭観音、夜念仏碑、禽獣供養碑、六地蔵など)がある。さらに境内の
     裏手(西側)へ廻ってみると、放り出されたように馬頭観音が2体立っていた。
   E黒羽根石仏群【北緯35度20分28秒 東経137度23分14秒】。国道363号沿いに、庚申堂と
     ともに多数の石仏(夜念仏供養塔、一石三十三所観音碑、馬頭観音、地蔵など)が集めら
     れていた。
     この庚申堂は享保7年の建立で、本尊は十一面観音である。    
     ここから山道へ入ることになるが、その直前の民家の敷地内にいくつかの石塔があった。
     旧阿弥陀堂跡だという。
     草道を右へ振りながら進むと尾根伝いに走る山道へ通じる。
     山道は旧街道かどうかはっきりしないが、わかりやすい道だ。だいぶ進んだところで黒っぽ
     いシカに道を塞がれてしまった。2、3分待つと薮の中へ消えた。この先は直進できる道が
     なく、コース地図に示したように寄り道しながら、Fの地点へと進んだ。
     この区間の山道は、「押田」の水田地帯を年貢取り立てを考えている役人に見せないため
     に作られた街道だったという。
   F城ヶ峰庚申堂【北緯35度21分11秒 東経137度23分04秒】。小山を登ると大きな馬頭観音
     菩薩碑がある。境内には大杉があり、石造物(行者像、千手観音像、西国三十三所供養
     塔、馬頭観音など)がいくつかある。
     Eの地点からここまで間に、パン工房の付近で、「熊に注意」の看板を見た。岐阜県の熊
     の目撃情報については「クママップ」参照。
   G円徳寺【北緯35度21分19秒 東経137度23分20秒】。安永7年(1778)の干ばつの際、円
     徳寺住職「胡道和尚」が発願して、雨乞いのため大滝(小里川ダム付近)に不動明王をお
     祀りした経緯を記した碑が境内に建っている。碑文の注釈はこちら
   H日吉神社【北緯35度21分53秒 東経137度23分33秒】。大きな神社とは言えないが、由緒
     ある神社らしく、鳥居の前には樹齢数百年の大杉が2本その雄姿を誇っていた。
     山道をたどるのはここで中断して、ここからは国道363号を歩くのが賢明である。
   Iの地点【北緯35度21分58秒 東経137度23分17秒】。山道への入口は池の横にある民家
     の敷地を通り、その先にあるイノシシ除けの波板を跨いで進まなければならない。波板を
     跨いですぐ右へ坂を登ると秋葉神社へ通じている。
   J秋葉神社【北緯35度22分05秒 東経137度23分22秒】。祠には文政6年と刻まれている。
     これより先へ(北方へ)進むのは困難である。神社に向かって、右の道を下り、あぜ道を進
     み、国道へ出るとよい。
     社殿への石段左側に「左大井」との標石がある。
   Kの地点【北緯35度22分34秒 東経137度23分09秒】。国道363号との十字路の方向から伸
     びているガードレールがここで終了している。この地点には電話ケーブルの電柱(bQ0)が
     立っているが、道らしい道はない。
     Jの地点から迷いながら、がむしゃらに尾根を進んできたが、この区間は旧街道跡とは思
     えない荒れ果てた状態だった。
     大井道はここから国道363号を横切って北東へ延びている。
   
    【参考資料:「歴史の道 大井道・中馬街道」(岐阜県教育委員会)】

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