下街道その5(釜戸駅〜槙ヶ根)

下(した)街道の概要は「下街道その1」の項目に譲るとして、今回はやっと終点「中山道との合流点『槙ヶ根』」に到着できた。名古屋から槙ヶ根までは正味60kmほどだが、寄り道をしたり列車が利用できない場合は往復歩くなどしたため、総歩行距離は160kmにもなった。お陰で下街道の面白さを充分満喫できて満足している。
振り返ってみると、この街道は「貨物の道」と言ってもいいほど物の流通が頻繁であったように思われる。その証拠として、馬頭観音の多さにはまったくびっくりした。既に散逸してしまったものもあろうが、石仏群として集積保存されるのはやむを得ないとしても、国道19号や中央道にバトンタッチし、引退してしまった老兵の栄光の証として是非後世に伝え、残してほしいものである。


コース:釜戸駅(@の地点)→2.7km→荻之島分校跡(Aの地点)→0.2km→桜ノ木立場跡(Bの
     地点)→0.7km→境橋(Cの地地)→1.8km→道標(Dの地点)→1.5km→竹折の石幢
     (Eの地点)→1.6km(弘法堂立ち寄り)→道標(Fの地点)→0.6km→下街道終点(G
     の地点)

       注)今回は都合で、各地点間の所要時間をはっきり把握できなかったので、所要時間は省略し、キロ数
           のみを表示した


日付:平成20年11月12日(水)
天候:晴れ
所要時間:推定2時間15分(休憩時間を除く)
歩行距離:9.1km

    コース地図を開く  ここをはじめてクリックするとプラグインのインストール画面が
            (初期値は1/10000)      表示されるので、「はい」をクリックする。不具合が発生した
                                 場合はこちらの「8」参照

                                 なお、念のため他のウィンドウをすべ閉じておくこと。


  (移動軌跡データファイルのみの呼び出し方法および地図の利用上の留意点)
 
1.この上にカーソルを当て、右クリックで「対象をファイルに保存」を選択し、デスクトップに「移動の軌跡
  データ」を保存します。ここでは、そのファイルは開かないでください。

2.国土地理院の電子国土ポータルへジャンプする。
3.国土地理院のプラグインのインストール画面が表示されたら、「はい」を選択する。
4.小さな日本地図が表示されるので、「ファイルを開く」(ボタンは画面右側の作図パネルの下部に隠れている)で、
  先ほどデスクトップに保存したファイルを指定して、それを開くと、地図の上に「移動の軌跡」が合成される。
5.この状態では、まだ地図の縮尺が小さいので、縮尺スケールが600mほどまで拡大して利用します。地図の表示
  窓が小さいので見にくいが、印刷結果はとても鮮明です。不要になったら、デスクトップのファイルは削除してくだ
  さい。
  地図の呼び出し方について、詳しくはこちら

6.留意点
 (1)地図上の赤線はGPSよる移動の軌跡を、手書きで地図に転記したもので、実際の軌跡データとは若干の誤差が
   ある。
 (2)地図上での経緯度線の表示は省略した。
 (3)地図と緯度経度の関連付けをより明確に知るにはカシミール3Dのホームページのフリーソフトを利用されたい。

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(各地点の説明)

   @中央線釜戸駅【北緯35度24分41秒 東経137度18分21秒】。南口へ出たが、出札口の
     ある正面は反対側である。
     この駅は、日中は1時間に2本しか列車がないので、利用する場合は前もって時刻表を
     調べておく必要がある。
     団体のハイカーを見かけたが、竜吟湖の方へ行くのだろうか。
   A荻之島分校跡【北緯35度25分26秒 東経137度19分36秒】。古い校舎がそのまま残っ
     ており、(宝珠寺の?)物置として使用されている。敷地の隅には跡碑が立っている。
     寺の正面にも「復礼館(荻之島学校)跡」の碑が立っている。
   B桜ノ木立場跡【北緯35度25分30秒 東経137度19分42秒】。宝珠寺から少し進み、左側
     の脇道を上ると、峠に常夜灯と馬頭観音が祀られている。しかし、参考資料に掲載され
     ていた「桜ノ木立場跡」の標識は見当たらない。馬の水呑み場も残っているとの説明が
     あったが、それもはっきりしなかった。
     峠を下ったところに「緋桜の歌碑」がある。実際には読めないが、参考資料によると、
     上段の桜の模様の中には、蓮信法師の「散るたびに もえこがれても 惜しけきは 
     かまど山なる 緋桜の花」、下段の枠の中には「いにしえの 花かぐわしき緋桜も 今は
     むなしく 名のみ残れる」(宝珠寺・天猷寺の朴雲和尚)の二首の歌が刻まれている。
     昭和6年に建立されたもの。
   C境橋【北緯35度25分45秒 東経137度19分59秒】。瑞浪市と恵那市の市界となってい
     る。この橋の手前左側の鳥居の横に、道標(左ハ竹折 右ハ釜戸?)を兼ねた馬頭観
     音が祀ってある。
   D道標【北緯35度26分00秒 東経137度20分45秒】。バス停の根元にある丸い石に「左 
     なごや 右 ふじ(武並町藤?)」と刻まれている。
   E竹折の石幢(いしとう)【北緯35度26分18秒 東経137度21分27秒】。石幢とは六角また
     は八角の幢身の各面に仏像や梵字を刻んだもので、ここでは寛文11年(1671)の年
     号が刻まれている。隣りにある馬頭観音には宝暦14年(1764)と刻まれている。
   F道標【北緯35度26分33秒 東経137度22分10秒】。信号のない国道19号を横断し、中
     央道のトンネルをくぐると急な上り坂となる。さらに登ると、木製の道標(R19へ400m
     中山道へ600m)と下街道の説明板が立っている。広場になっているので車数台駐車
     可能。
   G下街道終点【北緯35度26分44秒 東経137度22分29秒】。クマザサに覆われた山道の
     危なっかしい階段を登ると中山道との合流点「駒ヶ根立場」に到着。
     3年ほど前に中山道を歩いた時、ここを通過した際の記憶が鮮明に戻ってきた。
     この場所は、ちょっとした広場になっており、伊勢神宮遙拝所、茶屋跡、井戸や台所跡、
     いくつかの説明板などがある。
     参考までにここに立っていた下街道の説明板の内容は以下の通り。
    中仙道を上街道といい、ここで分かれて下る道を下街道と呼んだ。
     下街道は竹折・釜戸から高山(現土岐市)・池田(現多治見市)を経て名古屋へ行く道
     である。
     この道は途中に内津峠の山道があるが、土岐川沿いの平坦地を進み、付近には人家も
     多い。そのうえ名古屋までの距離は上街道より4里半(約18km)近かった。そのため下
     街道は一般旅行者に加え商人や伊勢神宮参拝者も多く大変にぎわった。
     しかし、幕府は中仙道の宿場保護のため下街道の商人荷の通行を禁止し、尾張藩も厳し
     く取り締まったが徹底することができず、幾度も訴訟裁定を繰り返した。

    【参考資料:下街道<春日井郷土史研究会>、愛知県歴史の道調査報告書 6<愛知県教育委
          員会>、下街道を歩く(春日井市文化財友の会)】
          

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