矢作川に沿って<小田子〜月瀬>(恵那市〜根羽村)
以前、上矢作町小田子から上村(かみむら)川を遡って平谷村うつぼの矢作川源流を訪ねたことがあるが、今回は小田子からコースを右にとり、矢作川をそのまま遡って茶臼山を目指した。今回の出発点とゴール(Dの地点)の標高差は約230m。
このコースでは大きな集落はなく、かつての街道として重要性も小さかったらしく、道標や石仏などもほとんど見当らなかった。当然のことながら車の交通量は極めて少なく歩道がない部分でも気にならなかった。
今回の目玉はなんと言っても終点月瀬の古色蒼然とした杉の巨木で、畏怖の念を禁じ得なかった。
なお、移動軌跡のコース地図は、2回に分けて歩いた結果を1つにまとめたものである。
コース:P 駐車地点→1.1km→@の地点(小田子バス停)→4.9km→Aの地点(県境)→3.8km
→Bの地点(大安寺)→2.9km→Cの地点(県境)→1.9km→Dの地点(月瀬の大杉)
・・・復路は省略
日付:平成21年3月30日(月)、4月9日(木)
天候:いずれも晴れ
所要時間:片道約3時間30分(休憩を含まない。)
歩行距離:片道14.6km
コース地図を開く ここをはじめてクリックするとプラグインのインストール画面が
(初期値は1/10000) 表示されるので、「はい」をクリックする。不具合が発生した
場合はこちらの「8」参照
なお、念のため他のウィンドウをすべ閉じておくこと。
(移動軌跡データファイルのみの呼び出し方法および地図の利用上の留意点)
1.この上にカーソルを当て、右クリックで「対象をファイルに保存」を選択し、デスクトップに「移動の軌跡
データ」を保存します。ここでは、そのファイルは開かないでください。
2.国土地理院の電子国土ポータルへジャンプする。
3.国土地理院のプラグインのインストール画面が表示されたら、「はい」を選択する。
4.小さな日本地図が表示されるので、「ファイルを開く」(ボタンは画面右側の作図パネルの下部に隠れている)で、
先ほどデスクトップに保存したファイルを指定して、それを開くと、地図の上に「移動の軌跡」が合成される。
5.この状態では、まだ地図の縮尺が小さいので、縮尺スケールが600mほどまで拡大して利用します。地図の表示
窓が小さいので見にくいが、印刷結果はとても鮮明です。不要になったら、デスクトップのファイルは削除してくださ
い。
地図の呼び出し方について、詳しくはこちら
6.留意点
(1)地図上の赤線はGPSよる移動の軌跡を、手書きで地図に転記したもので、実際の軌跡データとは若干の誤差が
ある。
(2)上記地図の経緯度線は「世界測地系」(GPSではWGS 84)に従い、目安として手書きで表示したものであり、各地
点の表示は「秒」までに止めた。青線の間隔は10秒(横は約250m、縦は約300m)ごとである。
(3)高度表示については、約5m〜10mほどの計測誤差がある(ほとんど低めに表示されてい
る)。
(4)地図と緯度経度の関連付けをより明確に知るにはカシミール3Dのホームページのフリーソフトを利用されたい。
******************************************************************************
(各地点の説明)
P 駐車場【北緯35度15分16秒 東経137度29分07秒 標高325m】。押川大滝の駐車場を利
用。トイレあり。
この滝は大きなものではないが、滝壺の淀みは青く澄んでいてかなり深そう。
@小田子バス停【北緯35度15分38秒 東経137度29分25秒】。上村(かみむら)川に架かる古
い橋(塙橋?)の西詰めには道標があった。
右 秋葉・鳳来寺
左 ねばね(根羽根)
明和2年(1765)
橋を渡り切ると左(北側 )には、小さな「ふれあい広場」があった。そこには、塙橋の親柱が
保存されていた。明治21年2月の文字が読みとれる。
その先(東側)の十字路で南北に交わる道路沿いには古い家並みが続いていた。かつて
の街道の駅であった風情がうかがわれる。
A県境【北緯35度16分24秒 東経137度31分15秒】。岐阜県(恵那市)と愛知県(豊田市)の
県境。
B大安寺【北緯35度15分35秒 東経137度32分02秒】。境内には稲武町の頃に町指定の天
然記念物のシダレザクラがある。町内では瑞竜寺に次ぐ大きいシダレザクラである。
また、境内周辺から縄文時代前期の土器片が出土し、約6千年前の遺跡であるとか。
C県境【北緯35度15分47秒 東経137度33分21秒】。愛知県と長野県の県境。
D月瀬の大杉【北緯35度15分27秒 東経137度34分01秒 標高560m】。月瀬神社の境内に
は樹齢千八百年の大杉があり、昭和19年に国の天然記念物に指定された。
弘化元年(1844)の江戸城本丸焼失後の復興用材として、また明治41年(1908)村内
神社統合の後、大杉売却の決議がなされたが、月瀬全住民の団結の力によって、保存さ
れ現在に至っている。