矢作川の源流を訪ねて<小田子〜大平>(岐阜県恵那市)

このコースは、上矢作町小田子からは矢作川水系の上村川に沿って、長野県の平谷村を目指し、一部「中馬街道」を歩くものだ。
小田子付近のデータは別のページに譲るとして、中馬街道では馬頭観音、石仏、念仏碑が多く見られ、この街道が馬方衆や神社仏閣詣でなどの旅人にとって極めて難コースであったことが伺われる。
旧上矢作役場の周辺には古い家並みが残っており、また、古刹円頂寺や万光寺も見逃せない。
「横道」を過ぎると、目立った集落はなく、水が澄み切った上村川に沿ってひたすら歩いた。やがて「福寿の里」の案内板を発見し、福寿草の自生地に立ち寄った。まだ、時期は早いせいか「咲き乱れている」という状況ではなかった(3月25日訪問)。
また今回のハイキングでは、過疎のため廃校になった2箇所の跡地に遭遇した。有効に使用されていればまだしも、草に覆われている校舎を見た時には気持ちがなんとなく暗くなった。そこで学んだ人々にとっては、心穏やかな風景ではないだろう。
また、小田子から矢作川の本流に沿って茶臼山の山麓にある本家源流?に向かうコースはこちら
なお、地図に掲載した移動軌跡は3回に分けて歩いた分をまとめて表示したものであり、実際には対岸を歩いたりもしたが、地図が煩雑になるので表示は省略した。

注)中馬街道について
信州飯田から南下する伊奈街道は、信州の西南隅の根羽にたどりつき、ここから三河国に入り、二道に分岐する。一つはさらに南へ下って田口を経て吉田(現、豊橋市内)にいたる。一つは西南に向かって足助を通って岡崎・名古屋へ出る道である。この二つの道が一般にいわれる中馬街道の本道である。この本道から分岐するもう一本の道がある。即ち根羽から西に向かって一旦、三河大桑に入りすぐに美濃へ出て、小笹原・横道を通って上村・明智・柿野を経て尾張の瀬戸・名古屋へたどる道である。これが東美濃の南部を東西に貫く重要な道として利用され、中馬街道の脇街道として信濃・美濃・尾張を一本の線で結びつけていたのである。この道も一般に中馬街道と称している。(歴史の道調査報告書第四集:岐阜県教育委員会編)


コース:駐車地点→4分→@の地点(押山地区コミュニティーセンター)→20分→Aの地点(「海」
      のうもれ木)→26分→Bの地点(旧下原田小学校跡)→2分→Cの地点→29分→Dの
     地点(大馬渡峠登り口)→25分→Eの地点(福沢桃介の碑)→28分→Fの地点(中馬街
     道道標)→3分→Gの地点(中馬街道案内板)→13分→Hの地点(円頂寺への案内板)
     →30分(円頂寺立ち寄り)→Iの地点→60分(万光寺立ち寄り)→Jの地点→20分(入
     口の民家周辺散策)→Kの地点(福寿草自生地)→30分(一周)→Kの地点・・・復路は
     省略
日付:平成20年3月13日(木)、17日(月)、25日(火)
天候:いずれも晴れ
所要時間:片道4時間50分(休憩を含まない。)
歩行距離:片道19.2km


    コース地図を開く  ここをはじめてクリックするとプラグインのインストール画面が
            (初期値は1/10000)      表示されるので、「はい」をクリックする。不具合が発生した
                                 場合はこちらの「8」参照

                                 なお、念のため他のウィンドウをすべ閉じておくこと。


  (移動軌跡データファイルのみの呼び出し方法および地図の利用上の留意点)
 
1.この上にカーソルを当て、右クリックで「対象をファイルに保存」を選択し、デスクトップに「移動の軌跡
  データ」を保存します。ここでは、そのファイルは開かないでください。

2.国土地理院の電子国土ポータルへジャンプする。
3.国土地理院のプラグインのインストール画面が表示されたら、「はい」を選択する。
4.小さな日本地図が表示されるので、「ファイルを開く」(ボタンは画面右側の作図パネルの下部に隠れている)で、
  先ほどデスクトップに保存したファイルを指定して、それを開くと、地図の上に「移動の軌跡」が合成される。
5.この状態では、まだ地図の縮尺が小さいので、縮尺スケールが600mほどまで拡大して利用します。地図の表示
  窓が小さいので見にくいが、印刷結果はとても鮮明です。不要になったら、デスクトップのファイルは削除してくださ
  い。
  地図の呼び出し方について、詳しくはこちら

6.留意点
 (1)地図上の赤線はGPSよる移動の軌跡を、手書きで地図に転記したもので、実際の軌跡データとは若干の誤差が
   ある。
 (2)上記地図の経緯度線は「世界測地系」(GPSではWGS 84)に従い、目安として手書きで表示したものであり、各地
   点の表示は「秒」までに止めた。青線の間隔は10秒(横は約250m、縦は約300m)ごとである。
 (3)高度表示については、約5m〜10mほどの計測誤差がある(ほとんど低めに表示されてい る)。
 (4)地図と緯度経度の関連付けをより明確に知るにはカシミール3Dのホームページのフリーソフトを利用されたい。

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(各地点の説明)

   P 駐車場【北緯35度15分16秒 東経137度29分07秒】。押山大滝の駐車場を利用。トイ
     レあり。
   @押山地区コミュニティーセンター【北緯35度15分26秒 東経137度29分12秒】。昭和57
     年に廃校となった押山小学校跡地。ゲートボール場としても利用されている。二宮金次
     郎の像が隅っこに立っていた。開校は明治37年との記念碑があった。
   A「海」のうもれ木【北緯35度15分57秒 東経137度29分20秒】。平成12年9月の集中豪
     雨のために上矢作町海地区の上村川が氾濫し、天正の大地震で川底深くに埋もれてし
     まった樹木が掘り起こされ流れ出した。その樹木が数本、説明板とともに熊野神社前の
     材木小屋に保管してある。
   B旧下原田小学校跡【北緯35度16分32秒 東経137度20分30秒】。この小学校は平成6年
     に廃校になり、校舎の一部は民間会社が借りているようだが、他の部分はもう14年間も
     手つかずのまま放置されてきたのだろう。校舎も中庭もかなり荒れていた。開校当時(明
     治33年)から、いやその前身の下村小学校が設置された時(明治12年)には、既にあっ
     たかもしれない数本の老木が歴史の長さを物語っている。
     その上にある老人施設は中学校の跡地らしいが、平成元年に上矢作中学校として現在の
     上矢作体育館の近くへ移動した。
   Cの地点【北緯35度16分34秒 東経137度28分26秒】。旧道とバイパスとの分岐点。
   D大馬渡峠登り口【北緯35度17分16秒 東経137度28分22秒】。中馬街道は大馬渡(おおば
     ど)峠を経由して明智と結ばれている。傍らには馬頭観音等の石仏が数体。その先にはイ
     ノシシ除けの電気柵が張り巡らしてある。電気柵を開けて、山道へ進むことができそうだが
     別の機会に譲ることとした。
     この地点からは、横道までは中馬街道を歩くことになる。
   E福沢桃介の碑【北緯35度17分41秒 東経137度29分06秒】。上矢作体育館の敷地内に
     電力王と言われた桃介の碑を発見。木曽川沿いの中山道を歩いた時に、何度もその偉業
     についての解説に接したが、「ここにも!」とびっくりした。 碑文には「弧矢(こし)天下を利
         す」とある。
     また、敷地内に二宮金次郎の像があったが、多分どこかの学校から移したものだろう。そ
     れにしても桜と金治郎の像はいかにも似合いそうだ。
   F中馬街道道標【北緯35度17分59秒 東経137度29分16秒】。新弁天橋の西詰めに岩村、
     名古屋、鳳来寺の方向を示す道標がある。
     新弁天橋が建設されたことにより、旧弁天橋は弁財天が祀ってある岩場までは残ってい
     るが、その先は取り壊されてしまった。
   G中馬街道案内板【北緯35度18分03秒 東経137度29分20秒】。小さい橋の手前に木製の
     道標に矢印で示してあった。それに従って進むと、街道は民家の裏庭を通っていることが
     わかった。特に、この付近は詳細な中馬街道の標識が建てられている。
   H円頂寺への案内板【北緯35度18分01秒 東経137度29分47秒】。円頂寺の山門をくぐると
     左側に道路整備などで行き場を失った馬頭観音や石仏がたくさん集められていた。
   Iの地点【北緯35度18分06秒 東経137度30分31秒】。旧道への案内板あり。
     中馬街道の標識はこの先の横道付近以東ではまったく目にしなかった。上の説明にもある
     ように横道から、一旦南下して小笠原から大桑峠へと続いている証拠とも言えよう。
   Jの地点【北緯35度18分25秒 東経137度32分45秒】。「福寿の里」の案内標識あり。この先
     は道路も橋も狭いため乗用車は交互通行の信号機を経て、近くの駐車場まで行くことがで
     きるがバスはここまで。
     一旦、川まで下りてその後は急な上り坂を歩いてやっとたどり着いた。自生地に立ち入る
     ために、協力金として一人300円支払う。
     少し時期も早いうえに、平日でもあり、見物人は20〜30人程度だった。この地区には3戸
     の民家があるが、そのうちの2戸の周りに福寿草が自生している。農家にとっては、利益?
     それとも迷惑?
   Kの地点【北緯35度18分17秒 東経137度32分48秒】。福寿草の自生地内は一方方向に歩く
     ようになっており、一周約30分。
     もともと派手な花ではないが、「田畑の斜面にかけて40アールにわたり足の踏み場もない
     ほどびっしりと咲く」との説明だが、時期的にはまだ少し早いためか黄色い花が点々とみえ
     るのみ。三月の中旬から咲き始め、四月の上旬が見頃とか。
     ここから北東の山の上を見ると、かみやはぎ風力発電所の13基の風車のうち2基だけが
     顔を出している。

    【参考資料】
      歴史の道調査報告書−大井道・中馬街道(岐阜県教育委員会)

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