Notes


 明治45年末、名古屋市の郊外、当時の愛知県東春日井郡守山町大字小幡字北山2773番及び2758番の土地、約16万坪を朝倉千代吉・谷口藤次郎の両名が取得した。
朝倉・谷口の両名は、大正末、取得土地内に総面積約1.5万坪、幅員4m~6mの道路を開設し、昭和元年末、「翠松園」と称す郊外住宅地の第1次分譲を開始した。
以後、分譲を重ね、昭和15年頃の第5次分譲をもって分譲を完了し、現在の翠松園の原型が完成した。この間、翠松園内の道路敷は将来の公道化を前提とし、その所有権は朝倉・谷口の両名に帰していた。
 戦後の混乱期を経、朝倉千代吉の家督相続人朝倉銚太郎が、昭和32年、道路敷地約1.5万坪を300万円の金銭消費貸借の抵当物件とした。
この抵当が流れ、昭和33年、朝倉丞作が上記道路敷地の大半の所有権を取得した。
朝倉丞作は、道路敷の所有権取得の後、翠松園居住者に対し道路敷地買上げの強要を開始し、同時に当時の翠松園の主要出入口に通行柵(門)を設置し、住民に対する通行妨害を行い、道路敷地買上げの圧力を強めた。
 これに対抗し、翠松園の居住者は昭和35年翠松園道路対策組合を結成し、通行権を守る運動を始めた。
これが、以降38年間の長きに亙る、翠松園道路問題の端緒である。
 翠松園の居住者は、金銭による道路地主との妥協ではなく裁判を通じての解決を支持した。
個々の利益・不利益ではなく、道路を食い物にする社会的不正は許さないという倫理性に裏付けられた住民の姿勢、また、これを可能とした以降の住民の努力が、翠松園道路問題の行方を決する事となった。
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