資  料 No.30


翠 松 園 全 景

翠松園全景空中写真

所有権確認等請求事件(昭和36年ワ第535号)
判決言渡時(昭和40年)
通行権確認等反訴請求事件(昭和39年ワ第2391号)

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翠松園全景(空中写真)
国土地理院発行の空中写真(MCB-65-1X)を使用


概   説
1) 由 来
明治45年末、名古屋市の郊外、当時の愛知県東春日井郡守山町大字小幡字北山2773番及び2758番の土地、約16万坪を朝倉千代吉・谷口藤次郎の両名が取得し、大正末、取得土地内に総面積約1.5万坪、幅員4m~6mの道路を開設し、昭和元年末、「翠松園」と称す郊外住宅地の第1次分譲を開始した。
 当時、分譲地内は躑躅等の低灌木に覆われてはいたが、分譲地がより緑豊かな別荘地となるよう松の木を植林し、「翠松園分譲地」と名付けられた。これが、「翠松園」の名称の由来である。
 この松の大半は、第二次世界大戦末期、軍用機の代替航空燃料として計画された松根油採取のため伐採された。残った松も、戦後松くい虫の被害に遭い、今では見る影もない。
 また当時翠松園地内に建設中であった「京都東寺の名古屋別院」へ到る参道には、桜の木が植えられた。この桜並木のごく一部が、今も二ツ池の中堤に残存している。
2) 自 然
翠松園は、名古屋市守山区東部、名鉄瀬戸線喜多山駅の北、愛知県都市公園「小幡緑地」に隣接する起伏に富む丘陵地に位置し、園内の標高差は約45mにも及び、<坂>と <階段>と <豊かな緑>が景観の特色をなしている。
 この地域は、都市計画法に定める第一種住居専用地域、風致地区に指定されており、市街化の比較的進んだ現在でも、松等の針葉樹や楢等の広葉樹が育ち、園内各所に多数の野鳥が棲息、飛来するなど、野趣に富み、緑豊かで閑静な居住環境が維持、形成されている。
翠松園内の二ツ池を中心とする5.5ha の区域は、都市計画法に基づく都市公園として昭和40年1月27日に都市計画決定がなされ、平成2年3月19日及び平成5年3月31日に事業認可を受け、平成26年度まで名古屋市による都市公園整備事業が実施され、「豊富な水と地形差を生かした自然風公園」をテーマに整備された。
 なお、当初「大森公園」の名称で都市公園整備事業が実施されたが、整備事業の完了に伴い、公園名は「翠松園緑地」に変更された。
 また、翠松園を含む約190haの広範な区域は、平成4年、建設省(現 国土交通省)から「自然ふれあいモデル地区」に指定され、名古屋市が平成6年度から「自然ふれあいモデル地区 」の整備事業を開始した。
 この事業を通じ、公園、緑地を結び、自然と触れ合い、緑のネットワークづくりを目指した広域公園としての整備が予定されており、自然との共生を目指すまちづくりが計画されている。
3) 文 化
翠松園南西部には、全長65m の前方後円墳、茶臼山古墳があり、道路に面した崖面の切断部から墳丘築造の模様を窺うことができる。
昭和30 年代半ば翠松園に窯と居を定め、作陶に励んだ加藤唐九郎を記念し、同氏の作品や蒐集資料を保存、展示する「唐九郎記念館」が、昭和51年9月、居宅に隣接して開設された。同記念館は、唐九郎の作品234点、蒐集資料3,400点、参考作品約200点、蔵書5,500点を所蔵している。



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