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大 山 祗 神 社

*写真および図面等はクリックで拡大します

大山祗神社
霊神合祀ノ碑 大山祗神社 尊星王




沿    革
「お社は当初、大字小幡字北山2773番10地内にあった。その後茶臼山古墳の上に移り、更に後、現在の場所に移った」と、冨永義彦氏から聞いている。
冨永氏は昭和初期から翠松園に居住し、結成から解散まで「翠松園水道組合」の組合長を、その後は「翠松園道路対策組合」理事長を務め、「翠松園の生き字引」と言われていた。


1) 茶臼山 壹萬稲荷神社(大山祗神社の前身)
  下に示す地図は、第2次分譲時の『翠松園分譲土地区画図(名古屋市外守山町大字小幡字北山)』の一部である。愛知県東春日井郡守山町大字小幡字北山2773番10 に相当する箇所に、「鳥居の地図記号」と『茶臼山 壹萬稲荷神社』の記載を読み取ることができる。

翠松園分譲土地区画図
翠松園分譲土地区画図

  愛知県東春日井郡守山町大字小幡字北山2773番および2758番地内には、小幡村在の人々が水田の灌漑を目的として築造した溜め池(上池および下池からなる通称:二ツ池)があり、上池西の小高い丘陵部の頂上付近に、豊作を祈願し稲荷神を祀る『壹萬稲荷神社』を建立したものと思われる。

2) 大山祗神社(茶臼山古墳期)
  下の測量図は平成2年名古屋市教育委員会発行の『茶臼山古墳発掘調査報告書』に挿入された昭和35年茶臼山古墳発掘調査時の墳丘測量図である。
図中、左下方に「鳥居の地図記号」の記載がある。これが初期の大山祗神社である。

昭和35年墳丘測量図
  明治45年末、名古屋市の郊外、当時の愛知県東春日井郡守山町大字小幡字北山2773番および2758番の土地、 約16万坪を朝倉千代吉・谷口藤次郎の両名が取得。大正末取得土地内に幅員4m〜6mの道路を開設し、昭和元年末「翠松園」と称す郊外住宅地の分譲を開始した。
  上記「壹萬稲荷神社」が分譲対象地内に存し、また当該神社について「横恋慕した女性が願掛けをした上で身投げした」との逸話も残されているところから、翠松園土地の分譲者である朝倉千代吉・谷口藤次郎両名は、昭和3年11月、昭和天皇の御大典に合わせ、『壹萬稲荷神社』を廃し、「茶臼山古墳」(守山町大字小幡字北山2773番52)の墳丘南方部に「大山積神」を祀る『大山祗神社』を建立合祀し、その際併せて『霊神合祀の碑』を建立したものと推定される。
このことは、下記の事実から説明できる。
1) 上記『霊神合祀ノ碑』裏面には「昭和三年十一月 翠松園 建之」の銘があること。
2) 昭和3年当時翠松園内には4戸の居宅と5戸の別荘が存するのみであり、上掲『翠松園分譲土地区画図』中「翠松園事務所」の記載や『第3次分譲時パンフレット』が示す通り、「翠松園」を称していたのは分譲者である朝倉千代吉・谷口藤次郎両名であること。(分譲地購入者は後に、現在の翠松園会の前身となる「翠松会」を結成。)
3) 総本社である愛媛県今治市大三島町宮浦の大山祗神社の主な祭礼が、
例大祭旧暦4月22日
御田植祭旧暦5月 5日
産須奈大祭旧暦8月22日に近い土曜日・日曜日
抜穂祭旧暦9月 9日
であるのに対し、翠松園内大山祗神社の祭礼は下記の案内の通り、平成10年代末頃まで永く変わらず、11月3日(旧天長節)であったこと。
4) なお、上記碑『尊星王』は、妙見尊星王を祀ったものであり、分譲者が誘致し翠松園地内(守山町大字小幡字北山2758番)に建設中であった「京都東寺の名古屋別院」との関連が想像されるが、詳細は不明である。
大山祗神社秋季大祭の御案内

  昭和22年8月、朝倉千代吉・谷口藤次郎両名は茶臼山古墳北端部に隣接する守山町大字小幡字北山2773番169(2773番52から分筆、現在の翠松園集会所所在地)の土地(100坪)および大山祗神社社務所の性格を帯びた住居(建坪22坪)を「翠松会」に贈呈、氏子代表5名の連名による登記がなされた。
大山祗神社の維持・管理は分譲者の手を離れ、氏子代表が大山祗神社の実質的な維持・管理を行い、翠松会が賛助する形に移行したものと思われる。


3) 大山祗神社(現在)
  昭和35年、茶臼山古墳北西部に位置する守山市大字小幡字北山地内に愛知県立緑丘商業高等学校が建設されることとなり、取付道路の開設によって茶臼山古墳墳丘部の南半分が土取り整地されることとなった。上掲の『茶臼山古墳発掘調査報告書』は、茶臼山古墳整地に先立ち名古屋市教育委員会によって行われた調査の詳細を記している。
茶臼山古墳整地に伴い大山祗神社も遷座を余儀なくされ、氏子総代のもと大山祗神社遷座に伴う寄附を募り、昭和36年11月、現在地(守山市大字小幡字北山2773番169)に社殿を建立し、遷座した。
下に示す地図は、昭和37年9月5日発行の守山市地図の一部である。地図中下辺中央に大山祗神社を示す「鳥居の地図記号」が記されている。

昭和37年発行守山市地図
昭和37年発行守山市地図

  社殿の老朽化が進んだことから、平成24年7月、有志による大山祗神社護持の発起人会が結成され社殿の護持修復のための寄附を募り、同年12月社殿の修復および周辺の整備が完了し、現在に至る。

  なお、地方自治法第260条の2第1項の規定による「地縁による団体」として、平成4年6月1日、翠松園会が名古屋市守山区長より認可を受け法人格を取得したことにともない、上記、土地・建物の所有権は翠松園会へ移転された。



  下の航空写真は、国土地理院発行の空中写真(昭和40年撮影:MCB- 65-1X)である。
全体の位置関係を俯瞰できるよう、写真中にそれぞれ以下を図示した。
① 茶臼山 壹萬稲荷神社② 大山祗神社(茶臼山古墳期)
③ 大山祗神社(現在)④ 真言宗総本山 東寺名古屋別院
⑤ 上池および下池(二ツ池)⑥ 愛知県立緑丘商業高等学校
翠松園全景空中写真(昭和40年)
国土地理院発行(昭和40年撮影:MCB- 65-1X)

  翠松園の来歴を熟知する方々はご高齢で、ほとんどの方が既に逝去されています。
記載内容について間違いがあれば、下記までお知らせ戴ければ幸いです。
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