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翠 松 園 秋 祭 り 点 景


Photo 1
こども神輿練り歩き


Photo 2
こども達の工作


Photo 3
和太鼓


Photo 4
こども神輿


(写真提供 : 翠松園会 矢野一夫氏 )






翠松園秋祭りについて

翠松園秋祭りは、平成3年秋、翠松園秋祭り実行委員会の主催で始まった。
以後、毎年11月3日に翠松園集会所を会場に開かれ、平成12年度で第10回を迎えた。
翠松園秋祭り実行委員会には、以下が参加している。
 翠松園会、翠松園子ども会、翠松園老人会、女性会、大山祗神社氏子代表
以下は、「第1回翠松園秋祭り」案内状からの抜粋である。


ごあいさつ
 秋たけなわの今日この頃、皆様にはますますご健勝のこととお慶び申しあげます。
 さて、翠松園の老いも若きも、ともに集い、和やかにそして賑やかに、楽しい一時を過ごしていただきたいと願い、「翠松園秋祭り」を企画いたしました。初めてのことゆえ、何かと不行き届きのこともあるかと思いますが、実行委員一同、心を込めて準備をいたしております。
 ご家族、ご近所の皆様お誘い合わせのうえ、楽しい秋の一日をお過ごしください。

翠松園秋祭り実行委員会長   小島 義孝 





翠松園秋祭りについて(補足)

翠松園秋祭りは、平成3年秋に始まったが、その頃の翠松園の状況について、少しだけ触れておきたい。
昭和元年末、翠松園として分譲が開始されてから丁度90年になるが、昭和36年から平成9年までの35年近く、翠松園の住民は私道をめぐる道路裁判を続けてきた。
道路裁判が大きな峠を越した平成2年は、総額1億5千万円近い和解金を住民が負担することによって、私道を公道にし、名古屋市による翠松園道路等整備事業が開始され、一部で仮舗装が始まった節目の年である。
舗装されたきれいな道路が実現する一方、約15%の道路敷は未解決で、道路は未舗装のまま残されていた。
皆が同じように和解金を負担しながら、道路問題が解決した沿線の方々と未解決道路沿線にお住まいの方々との差が歴然とし、住民間の軋みが生まれ始めたのだ。

翠松園秋祭りが始まる迄は、毎年11月3日に大山祗神社の秋季大祭が秋の祭りとして行われていた。
神事・子ども神輿の練り歩きがあり、組長がお社の供物のお下がりとして、餅・蜜柑・するめを各戸に配るのが主たる内容で、お祭りとしては寂しく、組長の役割は宗教的な色合いも濃く、宗教上の理由で参加を見送られた組長もいたのが実状である。

和やかで賑やかな祭りを通じ、少しでも住民の親睦を図ることができれば、との模索が始まったが、他方、民法の改正によって、町内会のような地縁に基づく組織も法人として認められ、財産を持てるようになり、翠松園会も規約の大幅な改正など法人化に向けての準備を進めていたこともあり、できるだけ宗教行為からの中立性を保つことも必要であった。

七五三や初詣では神社へ行き、結婚式は教会で、葬式は寺でと日本人は一般的に宗教に寛容であるが、翠松園会の会員には、無宗教の方や厳格なクリスチャンの方、仏教徒など様々な宗教を信仰する方々がいる。
宗教からの独立性を保った法人としての翠松園会と秋祭りを両立させ、宗教行事に関係なく、どなたでも参加できる秋祭りを実現するため、考え出されたのが、以下の点に留意した実行委員会方式である。
・秋祭り実行委員会は、翠松園会・子ども会・老人会・女性会・大山祗神社氏子代表で構成し、実行委員会
 の長は翠松園会会長とは別の方が務める
・大山祗神社秋季大祭は氏子代表が主催し、案内状も氏子代表名で作成・回覧し、9時30分から大山祗神社
 で神事を執り行う
・翠松園秋祭りは実行委員会が主催し、実行委員会が主催する旨明記した案内状を各戸配布する
 また、会場を翠松園集会所、時間を10時から1時とすることによって、大山祗神社の宗教行事と区別する

こうして平成3年秋、翠松園秋祭りが始まり、翌平成4年春、規約改正の後、6月1日附で翠松園会は法人格を取得し、新しい地縁法人としての翠松園会が誕生した。

2015年補足 



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