中央線の廃トンネル群散策(春日井市・瀬戸市)

4月26日〜5月2日まで愛岐トンネル群が公開されると聞いて出掛けた。
この廃線は1900年開通し、複線電化により新ルートに電車が通る昭和41年まで使用された後、庄内川の深い渓流沿いの急峻ながけに沿って、人を寄せ付けない環境下で、うっそうとした薮の中に埋もれて眠っていた。
高蔵寺駅と多治見駅の間の約8kmの廃線には13基(建設当時は14基)のトンネルが現存する。3年前、保存再生委員会が設立され、この保存会の手で3号から6号までの1500m余りが開拓された。
以前、釜戸付近を歩いた時にも、昭和42年に中央線のコース変更があったことを知ったが、その付近では軌道跡は道路に姿を変えており、足跡は残されていなかった。しかし、幸いにも定光寺付近は樹木で覆われた山の中であったため残されたのだろう。
なお、最も多治見駅寄りの14号トンネルは以前、池田稲荷神社から北側の階段を下りて訪れたことがある。
多分、次の一般公開は秋になるだろう。


コース:P 駐車場→0.4km→@の地点→0.8km→城嶺橋→0.6km→Aの地点(3号トンネル)
     →0.4km→Bの地点(4号トンネル)→0.6km→Cの地点(5号トンネル)→0.2km→D
     の地点(6号トンネル)→0.3km→Eの地点→0.3km→Dの地点(6号トンネル)→
     0.4km→Fの地点(河原)

日付:平成22年4月26日(月)
天候:晴れ
所要時間:見学時間を含めて3時間
歩行距離:4.0km

    コース地図を開く  ここをはじめてクリックするとプラグインのインストール画面が
            (初期値は1/7000)       表示されるので、「はい」をクリックする。不具合が発生した
                                 場合はこちらの「8」参照

                                 なお、念のため他のウィンドウをすべ閉じておくこと。


  (移動軌跡データファイルのみの呼び出し方法および地図の利用上の留意点)
 
1.この上にカーソルを当て、右クリックで「対象をファイルに保存」を選択し、デスクトップに「移動の軌跡
  データ」を保存します。ここでは、そのファイルは開かないでください。

2.国土地理院の電子国土ポータルへジャンプする。
3.国土地理院のプラグインのインストール画面が表示されたら、「はい」を選択する。
4.小さな日本地図が表示されるので、「ファイルを開く」(ボタンは画面右側の作図パネルの下部に隠れている)で、
  先ほどデスクトップに保存したファイルを指定して、それを開くと、地図の上に「移動の軌跡」が合成される。
5.この状態では、まだ地図の縮尺が小さいので、縮尺スケールが600mほどまで拡大して利用します。地図の表示
  窓が小さいので見にくいが、印刷結果はとても鮮明です。不要になったら、デスクトップのファイルは削除してくださ
  い。
  地図の呼び出し方について、詳しくはこちら

6.留意点
 (1)地図上の赤線はGPSよる移動の軌跡を、手書きで地図に転記したもので、実際の軌跡データとは若干の誤差が
   ある。
 (2)上記地図の経緯度線は「世界測地系」(GPSではWGS 84)に従い、目安として手書きで表示したものであり、各地
   点の表示は「秒」までに止めた。青線の間隔は10秒(横は約250m、縦は約300m)ごとである。
 (3)高度表示については、約5m〜10mほどの計測誤差がある(ほとんど低めに表示されてい る)。
 (4)地図と緯度経度の関連付けをより明確に知るにはカシミール3Dのホームページのフリーソフトを利用されたい。

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(各地点の説明)

   P 定光寺公園駐車場【北緯35度16分40秒 東経137度05分35秒】。中央線の定光寺駅を利
       用してもよかったが、時間短縮のために車で出掛けた。
   @の地点【北緯35度16分41秒 東経137度05分22秒】。ここから東海自然歩道を歩いて坂道
     を下った。自然歩道は城嶺橋を渡り左折するが、ここでは右折し茶店の前を通り、さらに進
     むと受付があった。見学料100円支払い、鉄製の階段を昇る。
   A3号トンネル【北緯35度16分52秒 東経137度04分59秒】。長さは76mで遠くに出口が見え
     る。線路をはずした状態のバラスがたくさん残っている見学路を歩くので、底の薄い運動靴
     は不向きである。
     しばらく進むと、右側に「帰り道」との案内があった。混雑を避けるためにコースを分離して
     いるのだろう。昨秋の一般公開の際は15000人も訪れ、かなり混乱したとか。
     さらに進むと、左の山側から小さな滝が流れ落ちている。
   B4号トンネル【北緯35度17分02秒 東経137度05分12秒】。長さは75m。入口付近には昔
     汽車が走っていた頃の写真が展示されていた。
     トンネルを通り抜けると三四五(みよい)の大モミジがある。幹の廻りは2.1m、高さ18m、
     樹齢は98〜110年との説明板がくくりつけてあった。5号トンネルに向かう途中では大きく
     展望が開けている場所がある。
   C5号トンネル【北緯35度17分16秒 東経137度05分29秒】。長さは99m。トンネルを出たと
     ころに「5号トンネル崩落事故」を報じる明治30年9月8日付けの新聞記事が展示されてい
     た。
   D6号トンネル【北緯35度17分19秒 東経137度05分35秒】。長さは333m。入口付近には、
     トンネルの構造や使用されたレンガについて、詳細に説明されていた。
     この6号トンネルは長い上に、カーブしているため出口は見えず、壁際にかなりの距離をお
     いて、ろうそくが並べられていたが事実上、真っ暗だ。懐中電灯は必需品。
     トンネル北口のウイングは、木の根に押し上げられて部分的に大きくひび割れしている。
     また、トンネルの手前に「右 玉野古道」の案内がある。
     中央線の開通以前、内津峠は急坂で交通の難所であったため、平坦な道路を切望して明
     治24年に名古屋へ向かう玉野街道の開削工事が始まった。4年後に有料の街道(道銭を
     徴収)として開通したものの、間もなく中央線の敷設工事がはじまり、街道は寸断され、明
     治33年に中央線が開通すると玉野街道はさびれてしまった。
     有料で思い出したが、昭和32年に開通した対岸の愛岐道路も昭和62年まで有料だった。
   Eの地点【北緯35度17分26秒 東経137度05分43秒】。6号トンネルを出るとそこは行き止ま
     り。その先にある谷の向側を木間から見ると嘗ての鉄橋の橋脚が見える。
   F河原【北緯35度17分22秒 東経137度05分49秒】。Dの地点から、玉野街道を進むと途中
     に太さ6mの大エノキがあった。さらに進むと河原に出た。いずれこの先の旧道が開拓され
     て、6号トンネルの北口まで整備されるのであろうか。
   

   【参考資料:「よみがえれ!愛岐トンネル群」(NPO法人愛岐トンネル群保存再生委員会の
           小冊子)】
  

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