下街道その3(内々神社〜土岐市駅)

下(した)街道の概要は「下街道その1」の項目に譲るとして、今回は内々神社から土岐市に向かって歩いた。
神社からわずかばかり旧国道19号の歩道を進むと、すぐに歩道上は草が生い茂り、歩けなくなったので内津峠の手前まで車道を歩いた。県道に格下げになると歩行者や自転車のためには整備してもらえないらしい。峠を越えて2.7kmほど進み国道19号から脇道へ入ると、まもなく宿場町「池田町屋」の西口である。下街道沿いには旧家、常夜灯、道標など往年の賑わいを偲ばせる雰囲気がそこかしこに残っている。
さらに先へ進み、多治見橋で土岐川を渡り、本町オリベストリートへ。道路はカラー舗装、両側にはレトロな建物が目につく。やがて、生田橋を渡り坂道を登って陶磁資料館に立ち寄ってみた。感動的なものは発見できなかった。
東海環状自動車道を跨ぐ橋から北側に丸山が見える。低い山だが次回登ってみたくなった。
なお、コースについては下欄の参考資料のほかに、ちまき亭さんのサイト「名古屋近郊の旧街道のルート」を参照させてもらいました。


コース:駐車地点→1.7km→馬頭観音(@の地点)→1.3km→金比羅神社(Aの地点)→1.6km→
     いろは屋(Bの地点)→0.3km→郷土資料館(Cの地点)→0.4km(永泉寺立ち寄り)→常
     夜灯(Dの地点)→1.7km(首切り地蔵立ち寄り)→中央線地下道(Eの地点)→2.3km→
     多治見橋南詰(Fの地点)→0.2km→多治見国長邸(Gの地点)→0.2km→多治見橋南詰
     (Fの地点)→1.8km(神明神社立ち寄り)→生田橋(Hの地点)→1.0km→陶磁器資料館
     (Iの地点)→2.6km(蔵春寺立ち寄り)→国道19号横断地点(Jの地点)→1.7km→御幸
     十王堂(Kの地点)→1.3km(明治天皇駐蹕碑立ち寄り)→御幸橋(Lの地点)→1.9km→
     土岐市駅(Mの地点)

       注)今回は都合で、各地点間の所要時間をはっきり把握できなかったので、所要時間は省略し、キロ数
           のみを表示した


日付:平成20年9月27日(土)、10月12日(日)
天候:いずれも晴れ
所要時間:推定5時間20分(休憩時間を除く)
歩行距離:20km

    コース地図を開く  ここをはじめてクリックするとプラグインのインストール画面が
            (初期値は1/10000)      表示されるので、「はい」をクリックする。不具合が発生した
                                 場合はこちらの「8」参照

                                 なお、念のため他のウィンドウをすべ閉じておくこと。


  (移動軌跡データファイルのみの呼び出し方法および地図の利用上の留意点)
 
1.この上にカーソルを当て、右クリックで「対象をファイルに保存」を選択し、デスクトップに「移動の軌跡
  データ」を保存します。ここでは、そのファイルは開かないでください。

2.国土地理院の電子国土ポータルへジャンプする。
3.国土地理院のプラグインのインストール画面が表示されたら、「はい」を選択する。
4.小さな日本地図が表示されるので、「ファイルを開く」(ボタンは画面右側の作図パネルの下部に隠れている)で、
  先ほどデスクトップに保存したファイルを指定して、それを開くと、地図の上に「移動の軌跡」が合成される。
5.この状態では、まだ地図の縮尺が小さいので、縮尺スケールが600mほどまで拡大して利用します。地図の表示
  窓が小さいので見にくいが、印刷結果はとても鮮明です。不要になったら、デスクトップのファイルは削除してくだ
  さい。
  地図の呼び出し方について、詳しくはこちら

6.留意点
 (1)地図上の赤線はGPSよる移動の軌跡を、手書きで地図に転記したもので、実際の軌跡データとは若干の誤差が
   ある。
 (2)地図上での経緯度線の表示は省略した。
 (3)地図と緯度経度の関連付けをより明確に知るにはカシミール3Dのホームページのフリーソフトを利用されたい。

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(各地点の説明)

    P 駐車場【北緯35度19分32秒 東経137度03分40秒】。内々神社の駐車場を利用させて
     もらった。
       @内津の馬頭観音【北緯35度19分50秒 東経137度04分33秒】。県境から400mほど東へ
      進むと右側の奥まったところに祀られている。高さは147cmもあり、明治27年の建立。
     ここへたどりつく直前の、廿原への分かれ道に道標があると参考資料には記載してあった
      が、どう探しても見当たらない。
   A金比羅神社【北緯35度19分45秒 東経137度05分21秒】。下街道沿いにあるので、かつて
     は多くの参拝者があっただろうと想像されるが、今では荒れ放題で社殿にはゴミが投げ込
     まれている始末。
     神社前を走る国道19号中央分離帯には大きな銀杏がある。少なくても境内はこの付近ま
     での広さはあったのだろう。
   Bいろは屋【北緯35度19分49秒 東経137度06分11秒】。かつての旅籠屋で、二階建ての
     伊沢邸がある。この付近が宿場町「池田町屋」の西口である。
     この向かい側には塀で囲まれた薮がある。江戸時代としてはめずらしく眼科医をしていた
     「小池家」ある。自由民権運動と地方政治、学校教育に活躍した池田勇の生家でもある。
   C(財)池田町屋郷土資料館【北緯35度19分52秒 東経137度06分16秒】。民家を改造したも
     ので、平成15年9月に開館。入館無料。駐車場あり。休館日は月、木、金。問い合わせ先
     は0572-23-4841。
     下街道の宿場町の頃の古い資料が展示されており、説明員がいる。
   D池田町屋の常夜灯【北緯35度19分46秒 東経137度06分15秒】。下街道一の規模(高さ
     5m)を誇る。文政9年丙戌8月と刻まれている。
     ここから池田町屋の中心部となるが、煩雑になるので地図には表示を省略したが、街道沿
     いには油屋利八、旅籠跡、齋藤透記念館、正助苑などが軒を並べている。
   E中央線地下道【北緯35度19分47秒 東経137度06分39秒】。地下道の壁は半分コンクリー
     ト、半分はレンガ造りで複線化工事の痕跡が伺われる。
     壁に埋め込まれている銘板によると「栗原用水橋梁」(1964)とあるので、かつては川が
     流れていたのだろう。ちなみに、多治見〜古虎渓間の複線化完成は昭和41年である。
     なお、中央線関連では、すぐ近くに廃トンネルがある。
   F多治見橋南詰【北緯35度20分05秒 東経137度07分47秒】。本格的な橋が完成したのは明
     治13年のことで、長さ110m、幅4mの板橋であった。現在の多治見橋は昭和11年に完
     成したものである。
     ここから東へ延びる道に沿って約400mが「オリベストリート」として整備されている。昭和
     の初め頃まで陶磁器問屋街として繁栄した地区で、今でも当時の商家や蔵が多く残ってい
     る。
   G多治見国長邸【北緯35度19分59秒 東経137度07分46秒】。多治見橋からまっすぐ南下す
     るとさびれた感じ(失礼!)アーケード街「ぎんざ通商店街」に通じている。商店街の中ほど
     右側に屋敷跡碑が建っている。
     国長は美濃国守護土岐頼貞の同族で、正中元年(1324)六波羅探題の軍に攻められ非
     業の死を遂げた(正中の変)。
     国長邸跡の手前には、商店街に不釣り合いな旧家「山新宅」と「山春宅」がでんと構えてい
     る。
     山新宅は大正中頃に建て替えられた元陶磁器問屋で、現当主は13代目である。
     山春宅は北隣の山新宅を本家とする分家で、築120年ほどの建物。戦前は陶磁器問屋、
     戦後はタイルの卸問屋を営んでいた。
   H生田橋【北緯35度20分16秒 東経137度08分31秒】。この付近から市界付近までは焼き物
     用の土の採取場となっていおり、旧道が消失、新しい道路を歩く。
     この橋の100mほど西で、草に覆われた旧道を下りてみると途中で田んぼの畦をヌートリア
     の親子?が歩いているのを見かけた。
   I岐阜県陶磁資料館【北緯35度20分26秒 東経137度08分57秒】。典型的な「ハコモノ」と言
     っていいだろう。300円払って入ってみると、休日というのに客は誰もいない。昭和63年に
     建設されたもので、美濃焼に関係した資料(志野、織部など)が展示されているが、なんと
     なくそっけない。
     資料館の周りには子供広場、芝生広場もあるが雑草に埋もれた遊具がもの悲しい。
      J国道19号横断地点【北緯35度20分36秒 東経137度09分25秒】。信号も横断歩道もないの
     で、要注意。
     しばらく進んで、東海環状自動車道に架かる四ッ谷跨道橋から北方をながめると丸山がすぐ
     近くに見える。
   K御幸十王堂【北緯35度20分59秒 東経137度10分05秒】。東海環状自動車道の陸橋を渡る
     と東側には大きく展望が開けてくる。この付近は標高190m。
     500mほど東進すると、左側の道路脇に大きな塚がある。古墳かもしれないが詳細不明。
     頂上には石碑が建っており、望遠レンズで写真を撮って確認すると、文政3年の文字が
     読める。
     ここから50mほど東へ進み、左奥をのぞき込むと十王堂が見える。冥府(死後の世界)で亡
     者の罪の重さを裁く十王の像(閻魔王、泰広王など十神)が鎮座している。また、お堂の裏
     には南無阿弥陀仏碑や観音像などの「石仏群」がある。
     ここからLの地点方向に向かい、県道421号に出て100mほど西へもどると明治天皇駐蹕
     碑、森川泰次郎詩碑、山縣有朋書による「聖徳無窮」碑などが建っている塚がある。
   L御幸橋【北緯35度21分02秒 東経137度10分26秒】。この橋の両岸には洪水対策としての
     鉄製の扉「陸閘」が設置されている。Mの地点に買う途中、市役所前で「馬除場碑」を発見
     した。参考資料によると「文化年中 施主小島金十郎、世話人渡部治右エ門」と刻まれてい
     るそだが、一部埋もれていて読めない。
   M土岐市駅【北緯35度21分35秒 東経137度10分58秒】。2日目の帰路は中央線を利用し
     た。
     また、御幸橋(Lの地点)から県道421号を歩き市役所付近で一旦旧道へ、再度県道に合
     流する地点に小さな「馬除場碑」が建っているが由来ははっきりしない。
     この先の下街道は、県道を横切り、地図上に示した点線の通りである。

    【参考資料:下街道<春日井郷土史研究会>、愛知県歴史の道調査報告書 6<愛知県教育委
          員会>、下街道を歩く(春日井市文化財友の会)、池田みちくさMAP<多治見スロー
          ライフジャパン>、たじみ川南みちくさウォーク<発行:(株)華柳>、ふるさとの古道と
          歌碑(瑞浪市郷土史研究会)】

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