飯田街道(伊奈街道)その1<名古屋市中区〜天白区>


飯田街道は、名古屋と信州の飯田を結ぶ街道である。この道は塩の道とも呼ばれ、信州に塩を運ぶ貴重な道でもあった。飯田街道と呼ばれるようになったのは、明治11年以降で、それ以前は赤池までは駿河道、あるいは駿河街道と呼んでいた。赤池からは、挙母街道と伊奈街道に分かれたていた。途中、平針では岡崎まで通じる岡崎街道と分岐した。駿河街道という名称は家康が駿府と名古屋との往還に使っていたからとされる。
この街道には東海道のように関所のわずらわしさがなかったので、信州との交易が盛んに行われた。
このサイトに別途掲載した「飯田街道(中馬街道)」も同じく名古屋と信州を結んでいるが、若干コースが異なる。


コース:伝馬会所「札の辻」(@の地点)→1.7km→富士神社(Aの地点)→1.0km→へちま薬師
     (Bの地点)→3.2km→吹上観音(Cの地点)→2.7km→川原神社(Dの地点)→2.6km
     (香積院立ち寄り)→隼人池(Eの地点)→0.6km(光真寺立ち寄り)→桜誓願寺(Fの地
     点)→0.7m→半僧坊新福寺(Gの地点)→1.1km→興正寺(Hの地点)→0.9km→高照
     寺(Iの地点)→1.9km→塩竃神社(Jの地点)→0.2km→御統監之所(Kの地点)→2.6
     km(植田八幡社、全久寺、泉称寺立ち寄り)→稲葉山公園(Lの地点)→2.0km→平針
     第一古城(Mの地点)→1.1km→原の道標(Nの地点)→2.1km(秀伝寺立ち寄り)→慈
     眼寺(Oの地点)→0.1km→忠魂碑(Pの地点)→0.2km→針名神社(Qの地点)
日付:平成23年4月1日(金)ほか
天候:晴れ
所要時間:6時間10分(寄り道を含む)
歩行距離:24.7km(寄り道を含む)

    コース地図を開く  ここをはじめてクリックするとプラグインのインストール画面が
            (初期値は1/10000)      表示されるので、「はい」をクリックする。不具合が発生した
                                 場合はこちらの「8」参照

                                 なお、念のため他のウィンドウをすべ閉じておくこと。


  (移動軌跡データファイルのみの呼び出し方法および地図の利用上の留意点)
 
1.この上にカーソルを当て、右クリックで「対象をファイルに保存」を選択し、デスクトップに「移動の軌跡
  データ」を保存します。ここでは、そのファイルは開かないでください。

2.国土地理院の電子国土ポータルへジャンプする。
3.国土地理院のプラグインのインストール画面が表示されたら、「はい」を選択する。
4.小さな日本地図が表示されるので、「ファイルを開く」(ボタンは画面右側の作図パネルの下部に隠れている)で、
  先ほどデスクトップに保存したファイルを指定して、それを開くと、地図の上に「移動の軌跡」が合成される。
5.この状態では、まだ地図の縮尺が小さいので、縮尺スケールが600mほどまで拡大して利用します。地図の表示
  窓が小さいので見にくいが、印刷結果はとても鮮明です。不要になったら、デスクトップのファイルは削除してくださ
  い。
  地図の呼び出し方について、詳しくはこちら

6.留意点
 (1)地図上の赤線はGPSよる移動の軌跡を、手書きで地図に転記したもので、実際の軌跡データとは若干の誤差が
   ある。
 (2)上記地図の経緯度線は「世界測地系」(GPSではWGS 84)に従い、目安として手書きで表示したものであり、各地
   点の表示は「秒」までに止めた。青線の間隔は10秒(横は約250m、縦は約300m)ごとである。
 (3)高度表示については、約5m〜10mほどの計測誤差がある(ほとんど低めに表示されてい る)。
 (4)地図と緯度経度の関連付けをより明確に知るにはカシミール3Dのホームページのフリーソフトを利用されたい。

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(各地点の説明)

   @伝馬会所「札の辻」【北緯35度10分20秒 東経136度54分06秒】。飯田街道の起点はここ
     伝馬町である。
     慶長18年(1613)、本町通伝馬町筋の交差点に荷物の運搬に必要な人馬を継ぎ立てる
     ために伝馬会所が設けられた。ここは名古屋城下の中心で名古屋からの距離はここを基
     点として測定された。
     正保元年(1644)には、法度・掟書などを記した高札を掲げる高札場も交差点の東南角
     に設けられたので、この地点は「札の辻」と呼ばれた。
     「札の辻」の説明板は、車道寄りの低い位置にあるので見落とし勝ちである。
   A富士神社【北緯35度10分25秒 東経136度54分45秒】。木花咲耶姫を祭神とする。この地
     はかつて山口の前山と呼ばれ、うっそうとした森に囲まれた霊域であった。名古屋城築城
     の際、浅野幸長が社域に普請小屋を設けたため、社は幅下(西区浅間町)に遷された。そ
     の後再びこの地に社殿を建てて富士浅間宮を祀った。
   Bへちま薬師【北緯35度10分22秒 東経136度54分59秒】。東充寺(へちま薬師)は、仏法山
     と号し浄土宗西山派に属する寺である。
     へちまにて諸病平癒の加持祈祷を施し、祈祷が終わったら、へちまを家に持ち帰り土地の
     中に埋める。すると病気は治るという。今も、へちま薬師の前には多くのへちまが奉納され
     香煙が耐えることはない。
     かつてこの付近には街道をはさむようにして40余りの寺院が密集していた。ここに寺院を
     集めたのは、街道の警備のためであった。
   C吹上観音【北緯35度09分34秒 東経136度55分35秒】。吹上の地の大地主であった小塚
     家の平穏を願って建てられたもの。観音堂の前には、「小塚氏名古屋新田開墾記念碑」と
     刻まれた石柱が立っている。観音堂には高さ1.5mほどの千手観音が祀られている。
     すぐ東側を南北に走る道路は「郡道千種街道」である。かつて愛知郡役所が管轄していた
     道路で、千種区古井ノ坂〜南区の千竃までの区間をいう。
     さらに進んで、阿由知通を横断して250mほど行くと右側に道標地蔵(小坂の地蔵)があ
     る。
     かなり読みにくいが、資料によると「左やごと道 右東海道 新四国」と刻まれている。また、
     その少し先では塩付街道と交差している。
   D川原神社【北緯35度09分04秒 東経136度56分40秒】。祭神は日神(ひのかみ)・埴山姫
     命(はにやまひめのみこと)・罔象女命(みずはめのみこと)である。創建時期は不祥だが、
     延喜式神名帳に社名が記載されている。
     境内の池には弁財天が祭られていることから、「川名の弁天さま」として信仰を集めてき
     た。社殿は平成4年に火災で焼失し、平成10年に再建された。
     南へ250mの地点(昭和警察署の向側)にある小祠の地蔵には「左あつた」と刻まれてい
     る。
     もともと向側の川名南城跡に北向きに立っていたが、道路拡幅に伴い、移転された。この
     祠には、他に如意輪観音と弘法大師が祀られている。西側の太平寺についてこちら
         また、次のDの地点へ向かう途中立ち寄った香積院は、元禄の頃、貞享4年(1687年)名古
     屋城下、久屋町の町人味岡次郎四郎によって建立された。 龍門とよばれる円形の開口
     部をもつ門に特色があり、境内には市指定の保存樹木「やまもも」の大木がある。 また、
     明治14年地祖反対運動の愛農社主小塚鉞助(えつすけ)の碑がある。高台の絶妙の場所
     に建つ寺である。
   E隼人池【北緯35度08分30秒 東経136度57分25秒】。この池は正保3年(1646)に犬山城
     主成瀬隼人正(はやとのしょう)正虎が開削したと言われている。池の水は往時、檀渓付近
     に樋を架けて山崎川を空中で横断し、藤成新田の灌漑のために引かれた。池の西岸には
     桜が約30本植えられている。
   F桜誓願寺【北緯35度08分27秒 東経136度57分35秒】。元亀3年(1572)信長の頃、誓願
     寺が清州に建立され、慶長年間(1596〜1614)に名古屋城下の白川町を経て現地に移
     転。
     開祖が比叡山の桜を境内に植え、桜とともに歴代繁栄したので、桜誓願寺と呼ばれてい
     る。
   G半僧坊新福寺【北緯35度08分13秒 東経136度57分19秒】。明治18年に静岡県浜松市北
     区引佐町の奥山半僧坊方行寺の別院を名古屋城下南大津町に建立され、明治43年に現
     在地に移った。
     本堂前には、宮本武蔵の碑がある。武蔵の碑は、ここ新福寺と南区の笠寺観音の二ヵ所
     にあるが、「新免政名供養碑」と呼ばれ、寛政5年(1793)武蔵149年忌の法要の際に建
     てられたものである。
   H興正寺【北緯35度08分23秒 東経136度57分45秒】。真言宗高野派準別格本山で、元禄
     時代の貞享3年(1686)から2代藩主徳川光友の後援を得て、順次建立されたものであ
     る。境内は東山と西山に分かれており、東山を遍照院といい西山を普門院という。山頂に
     は総本尊大日如来が安置されている。これは藩主友光が母の供養のために、元禄10年
     (1697)城下の仏師水野氏に鋳造させたもので、高さ3.6mもあり、名古屋三大仏中、最
     大のものである。
     また、文化5年(1808)には五重塔が建立され、今は国の重要文化財に指定されている。
   I高照寺【北緯35度08分03秒 東経136度57分44秒】。臨済宗。元は、延喜式神名帳に記
     載のある丹羽郡稲木荘寄木村の稲木神社(稲置天神)で、享保9年(1724)天道山高照寺と
     改め、寛保元年(1741)愛 智郡八事邑の現在地に遷座。本堂は天道宮ともいわれ、御本尊
     は天道大日如来も祀っている。往時の寺域は広大で、五社宮はもちろん、八事の八勝館
     あたりまで境内であったといわれている。
   J塩竃神社【北緯35度07分49秒 東経136度58分22秒】。宮城県塩竃市の旧国幣中社「塩
     竃神社」より弘化年間(1844〜48)に愛知郡天白村豪農の山田善兵衛が、御分霊を賜
     ったのが始まり。祭神は塩土老翁神(しおつちおぢのかみ)。
     社伝によると人々に漁業や煮塩の製造法を教えたとされている。また、海路を司ったとさ
     れ、出産は潮の干満に関係している事から、その満潮時の無事安産を祈って、潮路の神
     から安産守護神とされており、参詣者は多い。
      K御統監之所【北緯35度07分51秒 東経136度58分21秒】。御幸山公園内の山頂(標高
     58.8m)には、この碑と「明治天皇八事御野立所」の二つの石碑がある。明治23年4月2
     日陸軍大演習が行われたとき、明治天皇がここで諸軍を統監、さらに大正2年11月13日陸
     軍特別大演習のとき、大正天皇がこの地を御野立所として再び統監された。これを記念し
     て、大正4年村民によって建てられたのがこの碑である。
   L稲葉山公園【北緯35度07分55秒 東経136度59分09秒】。住宅街の高台(標高約30m)
     全体が公園になっている。登ってみると展望が大きく開け、夜景がきれいなスポットだそう
     だ。
   M平針第一古城【北緯35度07分27秒 東経136度59分47秒】。張州府志・尾張志では「小野
     田勘六」を城主としている。桶狭間の戦い(1563)の折、佐々成政がこの城に入ったとい
     う。
     東西60m、南北57mほどの規模で神田公園の辺りが城址らしいが、遺構はなにも残って
     いない。
   N原の道標【北緯35度07分34秒 東経137度00分14秒】。明和4年(1767)に建てられた。
     「右 名古屋道 左 みやいせ道」と地蔵の両肩に彫られている。
     前述のように、岡崎街道(姫街道)は、ここ平針宿で合流している。岡崎街道は宇頭(岡崎
     市)で東海道から分岐して、祐福寺、白土を経て名古屋城下を結ぶ街道で、家康が名古屋
     への最短ルートとして作ったものである。
   O慈眼寺【北緯35度07分06秒 東経137度00分34秒】。大同4年(809)、京都御所炎上のとき、
     遠州の三尺坊尊が火災を鎮めるため京へ上り、その帰路当地に立ち寄り「鎮防火燭」の直
     筆を残された。これによって創建された。
     その後、永禄3年(1560)織田信長が桶狭間の合戦の折、この山に祈願して勝利を得たの
     で、三尺坊の尊像を奉納した。参道には、藤棚としだれ梅、ぼたん桜の並木がある。
     なお、毎年12月16日に火渡り神事が行われる。
   P忠魂碑【北緯35度07分02秒 東経137度00分35秒】。秋葉山慈眼寺から針名神社へ至る
     道の左手に、明治の戦争に従軍した人々の忠魂碑と昭和の戦争での戦没者を祀った顕彰
     台などがあり、毎年4月に慰霊祭が行われている。
   Q針名神社【北緯35度06分58秒 東経137度00分35秒】。秋葉山麓にあるこの神社は、延
     喜式内社で尾治(張)氏の末えい尾治(張)の針名根連の命を祀る。針名根の命は、当時の
     尾張の国を支配した。因みに、犬山市の針綱神社は、針名根の命とその父君の尾綱根の
     命を祀っている。

   
    【参考資料:名古屋の街道をいく(沢井鈴一)、愛知県歴史の道調査報告書8<飯田街道・足
     助 街道>(愛知県教育委員会文化財課 編集)、Webページ「天白区の史跡散策路」、尾張
     の古城(篠山忠 著)、The SHOWA vol.T(「The SHOWA」委員会 編集)、名古屋の古道・
     街道を歩く(池田誠一著)、Web site「ちまき亭」さんの名古屋近郊の旧街道のルート】

    
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