木曽街道(犬山市〜可児市)

木曽街道は、名古屋城下清水口から小牧、善師野、土田の3宿を経て、中山道伏見宿に至る約40kmの道程であり、犬山街道、稲置街道、本街道、小牧街道、上(うわ)街道などいくつかの別称がある。途中、羽黒の追分から犬山へ通じる街道が岐れているため犬山・稲置の二別称があり、これは犬山城下に出る道であった。
本街道と呼ぶのは、尾張藩が木曽へ抜ける正式な街道としての呼称で、木曽街道も本街道とまったく同じ意味の呼称である。
北区清水口から楽田(犬山市)の追分けでまでは、稲置街道と重複しているので、今回は、追分けから善師野宿、土田(どた)宿を通って中山道の今渡まで歩いた。名古屋〜楽田間はすっかり現在の街並みになってしまっていたが、今回歩いたコースは、古い建物こそほとんど残っていないものの、道幅やカーブの具合から街道の雰囲気を感じ取ることができ、興味深いハイキングとなった。
帰路は日本ライン今渡駅より名鉄電車を利用した。


コース:@の地点(楽田駅)→11分→Aの地点(楽田追分)→10分→Bの地点(田中家の馬頭
     観音)→50分→Cの地点(合戦橋)→1時間(寄り道多し)→Dの地点→37分→Eの地
     点(善師野宿内案内板)→17分→Fの地点→10分→Gの地点(石拾いの峠)→49分→
     Hの地点(切通しの馬頭観音)→21分→Iの地点(土田宿本陣跡)→10分→Jの地点
     (白鬚神社)→41分→Kの地点(今渡の渡し)
日付:平成20年6月1日(日)
天候:晴れ
所要時間:片道5時間16分(休憩を含まない)
歩行距離:片道19.4km


    コース地図を開く  ここをはじめてクリックするとプラグインのインストール画面が
            (初期値は1/10000)      表示されるので、「はい」をクリックする。不具合が発生した
                                 場合はこちらの「8」参照

                                 なお、念のため他のウィンドウをすべ閉じておくこと。


  (移動軌跡データファイルのみの呼び出し方法および地図の利用上の留意点)
 
1.、この上にカーソルを当て、右クリックで「対象をファイルに保存」を選択し、デスクトップに「移動の軌跡
  データ」を保存します。ここでは、そのファイルは開かないでください。

2.国土地理院の電子国土ポータルへジャンプする。
3.国土地理院のプラグインのインストール画面が表示されたら、「はい」を選択する。
4.小さな日本地図が表示されるので、「ファイルを開く」(ボタンは画面右側の作図パネルの下部に隠れている)で、
  先ほどデスクトップに保存したファイルを指定して、それを開くと、地図の上に「移動の軌跡」が合成される。
5.この状態では、まだ地図の縮尺が小さいので、縮尺スケールが600mほどまで拡大して利用します。地図の表示
  窓が小さいので見にくいが、印刷結果はとても鮮明です。不要になったら、デスクトップのファイルは削除してくだ
  さい。
  地図の呼び出し方について、詳しくはこちら

6.留意点
 (1)地図上の赤線はGPSよる移動の軌跡を、手書きで地図に転記したもので、実際の軌跡データとは若干の誤差が
   ある。
 (2)上記地図の経緯度線は「世界測地系」(GPSではWGS 84)に従い、目安として手書きで表示したものであり、各
   地点の表示は「秒」までに止めた。青線の間隔は10秒(横は約250m、縦は約300m)ごとである。
 (3)高度表示については、約5m〜10mほどの計測誤差がある(ほとんど低めに表示されてい る)。
 (4)地図と緯度経度の関連付けをより明確に知るにはカシミール3Dのホームページのフリーソフトを利用されたい。

******************************************************************************

(各地点の説明)

   @楽田駅【北緯35度19分50秒 東経136度57分00秒】。今回は電車を利用したので、この駅
     が出発地点。
   A楽田追分【北緯35度20分12秒 東経136度57分05秒】。犬山へ通じる稲置街道と善師野、
     土田の宿場を経て、中山道伏見宿を結ぶ木曽街道との分岐点。
     分岐点にあるチャペルの庭の垣根の陰に「右 きそみち 左 犬山みち」と刻まれてた小さ
     な道標がある。参考文献の「・・・報告書」には、草むらにいくつもの道標が立っている古い
     写真が掲載されている。
     楽田村史に「明治初期以降は楽田の追分邑として旅籠屋・煮売屋・薬屋・履物屋・髪結床
     等軒を並べて繁盛し」と記されている。
   B田中家の馬頭観音【北緯35度20分26秒 東経136度57分16秒】。田中家(旧庄屋)の、街
     道を挟んで向かい側にある。台座には「左(小牧市の?)しのおか」と刻まれており、道標
     も兼ねている。
   C合戦橋【北緯35度21分29秒 東経136度57分56秒】。天正12年(1584年)の小牧長久
     手の戦いの前哨戦で、豊臣方の森長可が、徳川方の酒井左衛門尉忠次等に羽黒八幡
     林の戦いに敗れ敗走中、徳川方に追撃され、この付近で合戦をしたので合戦橋と名づけ
     られたという。
     合戦橋を渡ると、すぐに道標を兼ねた馬頭観音がある。「左きそみち 右やまみち」とあ
     る。
   Dの地点【北緯35度22分17秒 東経136度58分12秒】。点滅信号交差点。
   E善師野宿内案内板【北緯35度23分23秒 東経136度58分42秒】。善師野は「駅停ナレトモ
      ・・・旅舎モナク貧村」(徇行記)で、この宿場の開設年代は明らかでない。
     本陣は禅徳寺のすぐ北側の澤木家であるが、この場所には説明板等はない。
     また、禅徳寺の前には「真無阿弥陀仏」などの石仏が多くあり、いずれも江戸時代後期の
     年号が刻まれている。墓地には「日の丸の歌」、「明治節の歌」の作詞者堀澤周安の墓が
     ある。
   Fの地点【北緯35度23分50秒 東経136度58分47秒】。東海自然歩道(本線)と合流。
   G石拾いの峠【北緯35度24分06秒 東経136度58分53秒】。険しい峠道で無事安全を祈って
     石を拾い、峠を通過して石を置いたとも伝えられている。
     東海自然歩道の恵那コースは、ここから北方へ延びており、刎橋の先まで東海自然歩道
     を歩く。
     刎橋は、「土田で刎橋 太田の渡 碓氷峠がなけりゃよい」と俚謡に唄われたというほどの
     難所の一つであったと伝えられている。
   H「切通し」の馬頭観音【北緯35度24分58秒 東経137度00分22秒】。石原から土田へ街道
     が入る手前に「切通し」と呼ばれる難所があった。鳩吹山の麓には山沢川と通称丸山に
     挟まれた険しい場所があったと推定される。
   I土田宿本陣跡【北緯35度25分30秒 東経137度00分47秒】。本陣は林家で、門だけが残
     されている。門の奥は空き地のまま放置されている。
   J白鬚神社【北緯35度25分44秒 東経137度00分44秒】。木曽街道から500mほど奥へ入っ
     たところにあり、本殿まで両側に樹木が生い茂った参道がずっと続いている。そのため境
     内は広く、庚申碑、林桂顕彰碑、英霊碑、大炊戸天満宮、正一位稲荷大明神などが祀ら
     れている。
     天慶3年(940年)平貞盛によって草創された。4月の第一日曜日の大祭では、流鏑馬の
     神事が行われる。
   K今渡の渡し【北緯35度26分08秒 東経137度01分57秒】。中山道太田渡しが整備されるに
     つれて、今渡の渡し場(野市場湊)も繁盛した。
     なお、天明のころの渡し場はさらに1.2kmほど下流にあった。

   【参考文献:愛知県歴史の道調査報告書5 木曽街道(愛知県教育委員会文化財課)、木曽
           街道を歩く(春日井市文化友の会)】
   

トップへもどる