中山道<うぬまの森〜御嵩宿>(各務原市〜御嵩町)

うぬまの森の駐車場に車を置いて、国道21号線を歩いたが、かなりトラックが多い。ロマンチック街道(勝山陸閘〜美濃加茂市境?の3.5km)と命名されている木曽川堤防上へ移動してやっと安心して歩けるようになった。道路よりかなり高い位置なので気分がよい。「行幸巌」を過ぎて、しばらくすると右側(南側)に鳩吹山が見える。
太田宿には3年ほど前に訪れたことがあるので感激が小さかったが、その後、中山道会館の建設、脇本陣の改修など、だいぶ整備が進んでいる。
次に、御嵩宿方面へ進むには歩道のない危険な太田橋を渡らなければならない。幸いにも、工事中で橋の上は一方通行だったので、怖い思いをせずに済んだものの、旅人にとっては普段ならここは今も昔も同じ交通の難所である。
住吉の交差点からは歩道があり、やれやれ。1.4kmほど東へ進むと大東橋で21号線と合流し、車がゴーゴーと流れている。「車はここまで優先すべきものか」と疑問に思いながら脇道へ入り、長塚古墳へ立ち寄った。
伏見宿については若干古い民家が残っているものの、こぢんまりした宿場でこれはというものは見当たらなかった。
御嵩宿では、本陣跡付近に格子のある旧家が数軒保存されており、宿場町の雰囲気満点である。「中山道みたけ館」(入館無料)には中山道に関する資料や図書が取りそろえられており、図書館と郷土館の複合施設で必見。
以下のデータは、このコースを3回に分けて歩いた結果を1つにまとめたものである。
なお、御嵩宿から東へ延びる中山道のウォーキング記録については東海自然歩道(恵那コース)の項目を参照。

  
コース:駐車地点→13分→@の地点→22分→Aの地点(勝山陸閘)→13分→Bの地点→53
     分→Cの地点(太田宿西口)→4分→Dの地点→3分→Eの地点(中山道会館)→14分
     →Fの地点(太田宿東口)→16分→Gの地点(太田の渡し)→14分→Hの地点→11分
     →Iの地点(今渡の渡し場)→18分→Jの地点(旧一里塚)→7分→Kの地点→27分→
     Hの地点→47分→Lの地点→11分→Mの地点(長塚古墳)→13分→Lの地点→5分
     →Nの地点→35分→Oの地点(洞興寺)→9分→Pの地点(本陣跡)→55分→Qの地
     点(鬼の首塚)→18分→Rの地点(願興寺)→20分→Sの地点(21号線との合流)

日付:平成19年2月28日(水)、3月3日(土)、9日(金)
天候:晴れ
所要時間:7時8分(休憩を含まない。)
歩行距離:28.5km


    コース地図を開く  ここをはじめてクリックするとプラグインのインストール画面が
            (初期値は1/10000)      表示されるので、「はい」をクリックする。不具合が発生した
                                 場合はこちらの「8」参照

                                 なお、念のため他のウィンドウをすべ閉じておくこと。


  (移動軌跡データファイルのみの呼び出し方法および地図の利用上の留意点)
 
1.、この上にカーソルを当て、右クリックで「対象をファイルに保存」を選択し、デスクトップに「移動の軌跡
  データ」を保存します。ここでは、そのファイルは開かないでください。

2.国土地理院の電子国土ポータルへジャンプする。
3.国土地理院のプラグインのインストール画面が表示されたら、「はい」を選択する。
4.小さな日本地図が表示されるので、「ファイルを開く」(ボタンは画面右側の作図パネルの下部に隠れている)で、
  先ほどデスクトップに保存したファイルを指定して、それを開くと、地図の上に「移動の軌跡」が合成される。
5.この状態では、まだ地図の縮尺が小さいので、縮尺スケールが600mほどまで拡大して利用します。地図の表示
  窓が小さいので見にくいが、印刷結果はとても鮮明です。不要になったら、デスクトップのファイルは削除してくださ
  い。
  地図の呼び出し方について、詳しくはこちら

6.留意点
 (1)地図上の赤線はGPSよる移動の軌跡を、手書きで地図に転記したもので、実際の軌跡データとは若干の誤差が
   ある。
 (2)上記地図の経緯度線は「世界測地系」(GPSではWGS 84)に従い、目安として手書きで表示したものであり、各地
   点の表示は「秒」までに止めた。青線の間隔は10秒(横は約250m、縦は約300m)ごとである。
 (3)高度表示については、約5m〜10mほどの計測誤差がある(ほとんど低めに表示されてい る)。
 (4)地図と緯度経度の関連付けをより明確に知るにはカシミール3Dのホームページのフリーソフトを利用されたい。

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(各地点の説明)

    P 駐車地点【北緯35度24分38秒 東経136度57分00秒】。うぬまの森の駐車場を利用。
     なお、この駐車場は月曜日には利用できないので要注意。
   @の地点【北緯35度24分54秒 東経136度57分36秒】。駐車場から「うとう峠の一里塚」の前
     を通り、各務原アルプスコースの案内板を左に見て、石畳の道を下り、国道21号線の下に
     作られた土管のようなトンネルをくぐると、木曽川の河川敷へ出る。この出口のすぐ北側に
     あった「カフェテリアゆらぎ」は廃業してしまったようだ。
     向かい側の一里塚は戦時中に航空隊が宿舎を建てたため削られてしまった。
   A勝山陸閘【北緯35度25分25秒 東経136度58分05秒】。坂祝町、美濃加茂市等を水害から
     守るために国道21号線を遮断してしまう鉄製の大きな水防ゲート(逆流防止のため)が道
     路脇の倉庫に格納されている。
     ここで細い道を北へ入ると猿啄城跡への登山口へ通じている。
   Bの地点【北緯35度25分26秒 東経136度58分44秒】。Aの地点からここまで、ロマンチック
     街道と名付けられた木曽川堤防上の遊歩道は工事中だった。
     この堤防は昭和58年9月の水害を教訓に建設されたもので、堤防道路は歩行者やジョギ
     ング・サイクリングを楽しむ人にとってはありがたい施設だ(太田橋までの総延長は
     6.5km)。
     一方、この堤防建設と上流のダムのため川の景観は大きく損なわれてしまった。途中に
     「行幸巌」(みゆきいわ)の碑が建っていることから推察されるように、この付近は、かつて
     は水が豊富で岸辺は白い砂浜が続き、絶景だったという。
     堤防上を歩かず、このまま21号線を進むと、役場から200mほど東へ行ったあたりに一里
     塚があるようだ(未確認)。
   C太田宿西口【北緯35度26分12秒 東経137度00分35秒】。中濃大橋の直前で堤防道路を
     離れ、左(北側)へ降りると、坪内逍遙ゆかりのムクの木、虚空蔵堂、「左 大阪京」の道
     標、常夜灯、「承久の乱木曽川古戦場跡付近」および「大井の渡し跡付近」としるした標柱
     がここに集中している。
     また、この地点の北側(現在太田小学校の建っている場所)には、文明2年(1782年)か
     ら明治まで、尾張藩の太田代官所が設置されていた。
   Dの地点【北緯35度26分17秒 東経137度00分40秒】。太田小学校の南側の道から、国道
     41号線の下をくぐり、宿場へ入ると、さっそく宿場特有の枡形道路(下町の枡形)になって
     いる。
     この地点には、道標「右 関 上有知(こうずち 現在の美濃市)、左 西京 伊勢」と、高札
     場跡ある。また、北へ進むと西福寺の山門に至る。
   E中山道会館【北緯35度26分16秒 東経137度00分47秒】。新しい施設で、太田宿や中山道
     の歴史が動画や陳列品で解説されている。入場無料で、貸し自転車、駐車場、トイレあり。
   F太田宿東口【北緯35度26分23秒 東経137度01分23秒】。ここには伊藤萬蔵寄付による道
     標あり(左 飛騨高山道 右 東京善光寺道)。
   G太田の渡し【北緯35度26分16秒 東経137度01分54秒】。河川敷は化石林公園になって
     おり、渡し船があった頃の石畳も残っている。
     明治34年鉄索(ワイヤー)を用いた岡田式渡船となり、昭和2年2月には太田橋の完成と
     ともにその役目を終えた。
     第1回目のウォーキングはここまで。第2回目のウォーキングは化石林公園に駐車。
   Hの地点【北緯35度26分05秒 東経137度02分02秒】
   I今渡の渡し場【北緯35度26分08秒 東経137度01分55秒】。太田の渡し場の対岸にあた
     り、こちら側にも当時の石畳が残っている。
     神明弘法堂の境内には「錦江水」という湧き水がある。
   J旧一里塚【北緯35度26分02秒 東経137度01分11秒】。渡し場が、今渡の渡し場より下流
     にあった当時の旧中山道の一里塚で、「渡りクラブ」の敷地内にある。
    その西側の弘法堂の横から木曽川方面へ降りると、桜の泉がある。かつては澄んだ湧き
    水だったと想像されるが、今はきれいとは言えない水がわずかに浸み出している。
   Kの地点【北緯35度26分05秒 東経137度00分58秒】。堤防の下(南側)に、「旧跡 土田
     (大井戸)の渡し場跡」(江戸時代中期頃まで)の標柱が立っている。天明(1781〜1789)
     以前に使用された渡し場。
     その後、渡し場が現在の太田橋付近へ移動したことにより、ここは中山道の正式な渡し場
     ではなくなったが、その後も引き続き利用され、昭和5年頃に岡田式渡し船を採用し、昭和
     35年まで稼働していた。竹薮をかき分け、河原へ降りてみたがその痕跡は見当たらなかっ
     た。
   Lの地点【北緯35度26分09秒 東経137度04分04秒】。国道21号線の南側の歩道を歩き(北
     側では中央分離帯があるため)、ここで細い道を南下して長塚古墳へ立ち寄る。
   M長塚古墳【北緯35度25分51秒 東経137度04分07秒】。古墳は東濃地方最大級の前方後
     円墳で、よく原形を留めている。南西に位置する西寺山古墳、西方の野中古墳とともに前
     並の三ツ塚と呼ばれている。
     ただし、隣接する廃品回収業者?の回収品が大きくはみ出しており美観を損ねている。
     また、古墳の南側の犬山街道を東へ100mほど進むと、道路南側の民家の裏に広重の伏
     見宿における浮世絵ポイントと言われている「大杉之跡」の碑がある。刻印されている説明
     文によると、太さは1丈9尺余(5.8m)、高さは18間(33m)、樹齢は千年余年の老木で、昭
     和9年9月の室戸台風で倒れたとのこと。
     第2回目のウォーキングはここまで。3回目は古墳前の広場に駐車。
   Nの地点【北緯35度26分10秒 東経137度04分16秒】。Lの地点〜Nの地点は21号線の
     バイパスなので、この信号交差点で中山道へ戻る。
   O洞興寺【北緯35度26分09秒 東経137度05分03秒】。境内には、百日紅の老木に松を接ぎ
     木したような宿り木があった。
     狭い道を挟んで東側には、子安観音と女郎(じょろう)塚がある。
   P本陣跡【北緯35度26分20秒 東経137度05分13秒】。伏見公民館の道路沿いの敷地内
     に、伏見宿本陣跡碑と「是より東尾州領」の傍示杭(元は伏見宿の西坂にあったもの)が
     建っている。本陣は実際には、道路を隔た向かい側にあったという。
     今回は立ち寄らなかったが、Qの地点へ向かう途中、名鉄広見線の顔戸駅横には中納言
     行平(業平の兄)の墓がある。
     百人一首には彼の歌「立ち別れ いなばの山の峰に生ふる まつと聞かば 今帰る来む」
     がある。
   Q鬼の首塚【北緯35度26分07秒 東経137度07分16秒】。由来は他のホームページに譲る
     として、十返舎一九(1765〜1831)は「桶縄手(この付近の地名)、今もその名を朽ちざりき、
     塩漬けにせし鬼の首かも」と詠んでいる。
   R願興寺【北緯35度25分49秒 東経137度07分44秒】。弘仁6年(815)に伝教大師(最澄)
     により、創建されたといわれる天台宗の古刹。平安末と戦国の武田軍によって焼かれたが
     その後、地元民をはじめ板1枚、柱1本を持ち寄って再建された。通称「蟹薬師」と呼ばれて
     いる。
     ここから北方へ600mのところにある愚渓寺の庭園は、京都の龍安寺の石庭の原型をい
     われている名園である。
   Sの地点【北緯35度25分51秒 東経137度08分20秒】。国道21号線との合流点で、道路南
     側角の民家の庭に道標あり。
     この地点から300mほど御嵩駅方面へ戻った地点に東海自然歩道との分岐点がある。御
     嵩宿から槇ケ根までの中山道については東海自然歩道(恵那コース)の項目を参照。

   【参考資料:岐阜新聞社発行「中山道ウォークinぎふ」、今井金吾著「今昔中山道独案内】

    

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