稲置街道(名古屋市〜犬山市)

稲置街道に向かう前に、東区の「文化のみち」を一周した。都心にこんなに多くの古い建物が残る空間があるとは知らず、大いに感激した。
「稲置街道」は木曽街道(上<うわ>街道)と大部分重複しながら、現在の北区清水から味鋺の渡しで庄内川を越え、春日井、小牧を抜けて、楽田(犬山市)の追分けで木曽街道から分岐して五郎丸を通って名古屋と犬山城下とを結んでいる。当時、犬山を「稲置(木)村」といったことからこの名が付いた。
沿線の街並みはすっかり開発されているので、往時を偲ぶ縁(よすが)は多いとは言えないが、「なごやの古道・街道を歩く」の著者池田誠一氏は『どうも、古道・街道歩きは古い文化財をたずねる旅ではなさそうです。むしろ、昔の姿が消えてしまったところこそ「時」を感じることの、おもしろさがあるかもしれません』と述べており、確かにそれも一つの側面だろう。
一方、木曽街道は楽田の追分けから、さらに善師野宿、土田宿を経て、中山道伏見宿に通じており、重要な街道として尾張藩により五街道並みに管理され、宿場や一里塚も設けられていたのである。
なお、このコース地図は4回に分けて歩いた移動記録を1枚にまとめたものだが、コースが終始小牧線と平行していたので、前回の続きを歩く場合に電車を自由に利用できたので好都合であった。
また、地図上の紫線は街道からはずれての寄り道を示している。

コース:@の地点(東大手駅)→0.5km→Aの地点(市政資料館)→0.9km→Bの地点(二葉館)
     →0.8km→Cの地点→0.4km→Dの地点(七尾天神社)→0.4km→Cの地点→1.3km→E
     の地点(長久寺)→2.3km→Fの地点(志賀橋)→2.1km→Gの地点(お福稲荷)→1.3km
     →Hの地点(ふれあい橋)→1.3km→Iの地点(味鋺神社)→1.8km→Jの地点(二子
     山古墳)→3.1km→Kの地点(椎樫地蔵)→1.0km→Lの地点(行者寺)→3.6km→Mの地
     点(南外山天神社)→1.0km→Nの地点(天神社)→0.9km→Mの地点(南外山天神社)
     →1.5km→Oの地点(啓運寺)→0.1km→Pの地点(岸田家)→3.6km→Qの地点(清流亭
     の藤)→3.3km→Rの地点(石仏群)→0.9km→Sの地点(追分)→3.0km→@の地点
     (興禅寺)→3.7km→Aの地点→4.5km→Bの地点(大安寺橋)

  注1)行きつ戻りつしながらの旅だったので、各地点間の所要時間の記録を正確に把握できなかったので、距離
     のみを参考に記載した。
    2)@Bは、マル数字の「21」以上のフォントがないためその代用である。


日付:平成20年4月12日(土)、19日(土)、23日(水)、29日(火)
天候:いずれも晴れ
所要時間:全行程約10時間40分(休憩を含まない。寄り道分を含む)
歩行距離:片道43.3km(寄り道分を含む)


    コース地図を開く  ここをはじめてクリックするとプラグインのインストール画面が
            (初期値は1/6000)      表示されるので、「はい」をクリックする。不具合が発生した
                                 場合はこちらの「8」参照

                                 なお、念のため他のウィンドウをすべ閉じておくこと。


  (移動軌跡データファイルのみの呼び出し方法および地図の利用上の留意点)
 
1.この上にカーソルを当て、右クリックで「対象をファイルに保存」を選択し、デスクトップに「移動の軌跡
  データ」を保存します。ここでは、そのファイルは開かないでください。

2.国土地理院の電子国土ポータルへジャンプする。
3.国土地理院のプラグインのインストール画面が表示されたら、「はい」を選択する。
4.小さな日本地図が表示されるので、「ファイルを開く」(ボタンは画面右側の作図パネルの下部に隠れている)で、
  先ほどデスクトップに保存したファイルを指定して、それを開くと、地図の上に「移動の軌跡」が合成される。
5.この状態では、まだ地図の縮尺が小さいので、縮尺スケールが600mほどまで拡大して利用します。地図の表示
  窓が小さいので見にくいが、印刷結果はとても鮮明です。不要になったら、デスクトップのファイルは削除してくだ
  さい。
  地図の呼び出し方について、詳しくはこちら

6.留意点
 (1)地図上の赤線はGPSよる移動の軌跡を、手書きで地図に転記したもので、実際の軌跡データとは若干の誤差が
   ある。
 (2)上記地図の経緯度線は「世界測地系」(GPSではWGS 84)に従い、目安として手書きで表示したものであり、各
   地点の表示は「秒」までに止めた。青線の間隔は10秒(横は約250m、縦は約300m)ごとである。
 (3)高度表示については、約5m〜10mほどの計測誤差がある(ほとんど低めに表示されてい る)。
 (4)地図と緯度経度の関連付けをより明確に知るにはカシミール3Dのホームページのフリーソフトを利用されたい。

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(各地点の説明)

   @名鉄瀬戸線東大手駅【北緯35度11分01秒 東経136度54分30秒】。名鉄電車を利用し
     この駅を出発点とした。この駅のホームは地下深くにあるが、エレベーター、エスカレータ
     ーはない。
     駅のすぐ東側に明和高校がある。この一角は旧成瀬隼人正中屋敷跡で、明治になって
     陸軍用地となり、その後、明治43年から昭和13年まで県立第一中学校があった。明和
     高校の正門脇に小公園があり、そこに「愛知県立第一中学校跡」の石碑が建っている。
   A名古屋市市政資料館【北緯35度10分51秒 東経136度54分38秒】。大正11年に建てられ
     た旧名古屋控訴院地方裁判所区裁判所庁舎で、市政・司法に関する資料が展示されて
     いる。
   B二葉館【北緯35度10分48秒 東経136度55分06秒】。かつて白壁3丁目の高台にあった川
     上貞奴の居宅を移築復元したものである。日本初の女優と謳われた彼女と、電力王と称
     された福沢桃介が、大正から昭和初期にかけて暮らしていた邸宅であった。
     福沢桃介については、木曽上矢作町のいくつかの発電所や関連施設においてその名
     を何度も目にしたことがある。
     また、貞奴が私財で建てた貞照寺(岐阜県各務原市鵜沼宝積寺町5-189) も4年ほど前
     に訪問したことがある。
   Cの地点【北緯35度10分59秒 東経136度54分47秒】。清水坂へ下るT字交差点。
   D七尾天神社【北緯35度11分05秒 東経136度54分40】。七つの尾を持った亀が菅原道真
     公の木像をここへ運んだという伝説がある。社殿右側には筆塚がある。
   E長久寺【北緯35度11分08秒 東経136度55分10】。薬医門形式の表門は清洲越の際、移
     築されたもの。境内には寛文8年(1668)に武家から寄進された庚申塔がある。
   F志賀橋【北緯35度11分49秒 東経136度54分56秒】。ここで堀川を渡る。
      Gお福稲荷【北緯35度12分38秒 東経136度54分57秒】。小さい丘の上に御山神社、白龍神
     社が合祀されている。
     ここから西南の地域に安井城があったと伝えられており、天正年間(1573年頃)安井将
     監、浅野長勝によって築城された。山の神を祀った神社は安井城鬼門の守護神として創
     建されたとも言われている。
     このすぐ北側の惣兵衛川に沿って以前歩いたことがある。
   Hふれあい橋【北緯35度12分57秒 東経136度55分08秒】。人道橋で、散歩やジョギングを
     楽しむ人を見かけた。
     この橋のすぐ西にある成願寺は現在改装工事中である。昭和8年の矢田川改修に伴いこ
     の地に移された。以前の矢田川は成願寺の南側を流れていた。
     また、矢田川の渡し場、味鋺の渡し場についてはそれを示す標石等は発見できなかった。
   I味鋺神社【北緯35度13分06秒 東経136度55分40秒】。かつては流鏑馬神事が行われて
     いたが、第二次世界大戦で途絶えた。
     また、境内にある清正橋は、ここより南西100メートルの溝に架けてあった石橋を土地改
     良事業のために昭和53年に移築したもので、名古屋城築城の折りに加藤清正の命によ
     り架けられたと伝えられている。
     清正橋の説明板に、稲置街道のコースがわかりやすく書いてあった。曰く、「稲置街道と
     は東大手門−清水の坂−杉村−東志賀−安井−矢田川の渡し−成願寺−味鋺の渡し
     −味鋺清正橋を渡り護国院の西北を通り小牧−犬山−中山道へ」。稲置と名古屋を結ぶ
     重要な街道、尾張藩が開いた藩道で参勤交代の際利用し中山道を経て江戸へ至った。」
     隣接する護国院には、庄内川改修の際に移設された味鋺の道標(「右 勝川道  左 小牧
     道」と刻まれた仏像)がある。
   J二子山古墳【北緯35度13分33秒 東経136度56分07秒】。ここは公園になっていて、二
     子山古墳、白山神社古墳、 御旅所古墳の3つの古墳がある。
     400mほど北西には、春日山古墳があり、その一角に立石の道標(これより十八丁常安
     寺)がある。「根釈迦」で有名な豊場常安寺への道標である。
   K椎樫地蔵【北緯35度14分51秒 東経136度56分06秒】。稲置街道と勝川道の追分けの位
     置に祀られている。よだれかけの下を覗くと、「右 志ミ州道 左 かち川道」と刻まれてい
     る。
   L行者寺【北緯35度15分11秒 東経136度56分28秒】。安永5年(1776)に宮町の名倉藤蔵
     らが役(えん)の行者の尊像を作り、小堂を建てたのが始まりである。
   M南外山天神社【北緯35度16分20秒 東経136度55分35秒】。神社の「袈裟襷(けさだすき)
     文銅鐸発掘地」の碑がある。
   N天神社【北緯35度16分20秒 東経136度56分05秒】。天明6年(1786)に、木曽御岳を開
     いた覚明行者の誕生の地。境内の東側には産湯の井戸がある。
   O啓運寺【北緯35度17分07秒 東経136度55分22秒】。小牧宿の南端にあたり、ここには大
     木戸と高札場が設けられていた。
   P岸田家【北緯35度17分10秒 東経136度55分20秒】。岸田家は脇本陣や庄屋を務めた。
     建物は幕末頃の姿に復元されており、小牧市教育委員会文化振興課に予約すれば内部
     の見学もできる。
     北隣の小牧代官所跡には福禄寿石造あり。
     ここから400メートル北へ進むと戒蔵院に突き当たる。その門前には「南 名古屋」「西 一
     の宮 つしま 清須」「東 木曽海道 犬山道」という道標がある。
     さらに戒蔵院から左手に進むと稲荷堂がある。天明7年(1787)、尾張徳川家の菩提寺・
     建中寺の中に、歴代藩主の位牌を安置する霊屋(みたまや)が4棟造られ、明治初期に一
     箇所に合祀された際、1棟の拝殿がここに移された。その後、小牧宿の人たちが商売繁盛
     を願って豊川稲荷の分霊を安置し、奉賛会をつくって例大祭を行ってきた。(平成21年10
     月14日 中日新聞より)
     ここから北西に1kmの地点に小牧山があるが、以前登ったことがあるので今回は割愛。
   Q清流亭の藤【北緯35度18分32秒 東経136度56分21秒】。料亭「清流亭」の藤は樹齢四百
     年と言われており、新木津(こっつ)用水(寛文4年<1664年>に完成)に臨んでいる。
     北西700mの地点に岩崎山があるが、以前立ち寄ったことがあるので今回は割愛した。
   R石仏群【北緯35度19分48秒 東経136度56分53秒】。ここは楽田城北之門跡に三十三観
     音役の行者覚明行者などの碑がある。
   S追分【北緯35度20分12秒 東経136度57分05秒】。犬山へ通じる稲置街道と善師野、土田
     の宿場を経て、中山道伏見宿へ行く木曽街道との分岐点。
     分岐点にあるチャペルの庭の垣根の陰に「右 きそみち 左 犬山みち」と刻まれてた小さな
     道標がある。
     この先1.7kmで五条川を渡ったが、以前桜の季節に歩いたことを思い出した。
   @興禅寺【北緯35度21分11秒 東経136度56分56秒】。境内に「羽黒城址」の説明板が物陰
     に立てかけてあったが、痕跡は発見できなかった。
   Aの地点【北緯35度22分44秒 東経136度56分21秒】。「稲置街道散策マップ」によると、稲
     置街道の終点はこの地点になっていたが、同資料に添付されていた大正9年の地図に従
     って中山道の鵜沼宿まで歩いた。
     犬山市内の史跡については気付いたものだけを地図に記載したが、それ以外にもたくさ
     んあるので改めてじっくり散策したい。
   B大安寺橋【北緯35度24分16秒 東経136度56分16秒】。この地点は中山道の鵜沼宿の入
     口付近で常夜灯あり。また、この地点では東海自然歩道が南北に交差している。


   【参考文献: 稲置街道散策マップ(名古屋市北区役所発行)、愛知県の歴史散歩(愛知県高
           等学校郷土史研究会編)、名古屋古城跡めぐり(名古屋市経済局観光貿易課
           編)、名古屋の古道・街道を歩く(風媒社)、木曽街道を歩く(春日井市文化財友
           の会)】

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