中山道<加納宿〜うぬまの森>(岐阜市〜各務原市)

加納宿については、別のサイトに掲載したのでここでは省略し、今回は茶所駅を出発点とした。
茶所駅から新加納宿を過ぎて、各務原市の中心街へ入るまでずっと歩道のない車と肩を並べて歩く道路だった。そこを通り過ぎて東へ進むと国道21号線に沿って歩くことになるが、そこには旧中山道の影はなく、すべて踏みつぶされてしまっていた。鵜沼宿に入ってやっと中山道が息を吹き返した。
このコース沿いでは、特に目玉となる名所・旧跡は少ないものの、宿場内ではりっぱな旧家が残っていて、中山道の雰囲気を味わうことができた。
新加納宿・・・正規の宿場ではないが、鵜沼と加納間が四里八町(16.8km)もあり、間の宿の性格を持ち賑わいをみせた。宿泊は原則として認められなかったため数軒の茶屋があったのみ。幕末には旅籠屋の営業が認められた。現在では、その繁栄ぶりを偲ぶ面影は見当たらない。
鵜沼宿・・・宿場の中心に設置されている解説板の地図によると、宿場内の街道中央には用水溝が設置されていたようだ。
明治24年の濃尾大地震により壊滅的な被害を受けた。
また、宿場内の大安寺川に沿って東海自然歩道が南北に交差している。
なお、別の機会に歩いた移動軌跡を参考までに地図上に紫線で表示した。


コース:@の地点(茶所駅)→14分→Aの地点(領下往還南の信号)→5分→Bの地点(一里
     塚)→39分→Cの地点(手力雄神社)→34分→Dの地点→8分→Eの地点→1時間
     10分→Fの地点(六軒一里塚跡)→1時間20分→Gの地点(坊の塚古墳)→17分→
     Hの地点(鵜沼宿脇本陣跡)→30分→Iの地点(うぬまの森駐車場)

    (参考・・・紫線)P駐車場→16分→@の地点(茶所駅)

日付:平成19年5月16日(水)
天候:晴れ
歩行時間:4時間57分(休憩および紫線の部分を含まない)
歩行距離:20.3km(@の地点〜Iの地点まで。紫線の部分を含まない)

    コース地図を開く  ここをはじめてクリックするとプラグインのインストール画面が
            (初期値は1/10000)      表示されるので、「はい」をクリックする。不具合が発生した
                                 場合はこちらの「8」参照

                                 なお、念のため他のウィンドウをすべ閉じておくこと。


  (移動軌跡データファイルのみの呼び出し方法および地図の利用上の留意点)
 
1.、この上にカーソルを当て、右クリックで「対象をファイルに保存」を選択し、デスクトップに「移動の軌跡
  データ」を保存します。ここでは、そのファイルは開かないでください。

2.国土地理院の電子国土ポータルへジャンプする。
3.国土地理院のプラグインのインストール画面が表示されたら、「はい」を選択する。
4.小さな日本地図が表示されるので、「ファイルを開く」(ボタンは画面右側の作図パネルの下部に隠れている)で、
  先ほどデスクトップに保存したファイルを指定して、それを開くと、地図の上に「移動の軌跡」が合成される。
5.この状態では、まだ地図の縮尺が小さいので、縮尺スケールが600mほどまで拡大して利用します。地図の表示
  窓が小さいので見にくいが、印刷結果はとても鮮明です。不要になったら、デスクトップのファイルは削除してくださ
  い。
  地図の呼び出し方について、詳しくはこちら

6.留意点
 (1)地図上の赤線はGPSよる移動の軌跡を、手書きで地図に転記したもので、実際の軌跡データとは若干の誤差が
   ある。
 (2)上記地図の経緯度線は「世界測地系」(GPSではWGS 84)に従い、目安として手書きで表示したものであり、各地
   点の表示は「秒」までに止めた。青線の間隔は10秒(横は約250m、縦は約300m)ごとである。
 (3)高度表示については、約5m〜10mほどの計測誤差がある(ほとんど低めに表示されてい る)。
 (4)地図と緯度経度の関連付けをより明確に知るにはカシミール3Dのホームページのフリーソフトを利用されたい。

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(各地点の説明)

   (参考)・・・P 駐車地点【北緯35度23分56秒 東経136度45分37秒】。加納城址南門の駐車
          場。
   @名鉄名古屋本線茶所駅【北緯35度24分09秒 東経136度46分07秒】。名鉄名古屋本線に
     沿って西側に岐阜街道(御鮨街道)が、また北の方角へは中山道(岐阜街道と競合)が伸
     びている。
   A領下往還南の信号交差点【北緯35度24分04秒 東経136度46分42秒】。この付近にはりっ
     ぱな旧家が数軒集中していた。さらに600mほど東の長森細畑の交差点付近でも旧家を
     見かけた。
   B細畑の一里塚【北緯35度24分02秒 東経136度46分55秒】。道の両側に塚が残っており、
     塚にはエノキが植えられていた。
   C手力雄神社【北緯35度23分43秒 東経136度48分19秒】。本殿は再建のための工事中。4
     月の第2土曜日に火祭りが行われる。
   Dの地点【北緯35度23分53秒 東経136度49分30秒】。一里塚跡で、当時の新加納宿内の地
     図あり。
     北側の日吉神社の定書には「カエルと捕るな」と書かれていたので、この神社の池にはか
     つてカエルがいたのだろう。そのためか、狛犬の代わりにカエルが出迎えてくれた。
   Eの地点【北緯35度23分50秒 東経136度49分51秒】。ここから、やっと歩道が設置されてお
     り、いくらか気を抜いて歩くことができた。
     900mほど東へ進むと、岐阜大学の跡地を利用して作られた大きな市民公園がある。ここ
     から新境川に沿って250mほど北上すると「市民公園公園前」駅があるが、この駅北側の
     薮の中に、義賊として知られた鼠小僧伝説碑がある。鼠小僧に命を助けてもらった女性が
     彼の処刑をきいて墓を建てたという。ただし、碑には「奉納大乗妙典六十六部日本廻国供
     養行者 江戸本所住 行者 浄?」とある。また、その横には播隆上人の門人が師を慕って
     建てたという名号碑がある。大正10年に中山道沿いからここへ移転されたものだが、今は
     樹木に覆われて注意して探さないと発見できない。
   F六軒一里塚跡【北緯35度24分00秒 東経136度51分53秒】。竹林寺の向かい側に木製の
     標柱のみが立っている。
   G坊の塚古墳【北緯35度24分13秒 東経136度55分34秒】。大垣市の昼飯大塚古墳につい
     で岐阜県下二番目の規模を有する古墳である。5世紀前半代の有力な豪族の墳墓と考え
     られている。古墳の頂上には小さな祠が祀ってある。
   H鵜沼宿脇本陣跡【北緯35度24分17秒 東経136度56分11秒】。この脇本陣跡には建物は
     残っておらず、芭蕉の句碑と鵜沼宿についての説明板が立っている。
     西側に隣接する二ノ宮神社には古墳の石室が残っている。
     東側に隣接して本陣の桜井家、向かい側には脇本陣をつとめた坂井家がある。その他数
     軒の旧家が宿場の雰囲気を醸し出している。
   Iうぬまの森駐車場【北緯35度24分38秒 東経136度57分01秒】


                            参考資料:岐阜新聞社発行「中山道ウォークinぎふ」

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