名古屋市北区南部の史跡散策路

この季節になると、遠くまで出掛けるのが億劫になり、交通の便利な名古屋市内を散策することにした。名古屋市のホームページ「北区歴史散策路」を参考にしながら歩いた。モデルコースとは異なるコースを歩いたものの、そこに取り上げられているポイントは概ね立ち寄った積もりだ。
各史跡についての説明文の大半は同資料を引用したものである。
なお、(21)〜(28)の番号はマル数字フォントの代用である。

コース:@の地点(名城公園駅)→0.3km→Aの地点(長栄寺)→0.6km→Bの地点(多奈波太神
     社)→0.3km→Cの地点(西来寺)→0.9km→Dの地点(平手政秀宅址)→0.9km→Eの
     地点(光音寺)→0.5km→Fの地点(八龍社)→0.2km→Gの地点(聖徳寺)→1.0km→H
     の地点(神明社)→1.1km→Iの地点(成願寺)→0.6km→Jの地点(お福稲荷)→0.6km→
     Kの地点(別小江神社)→0.8km→Lの地点(羊神社)→2.0km→Mの地点(八幡社)→1.4
     km(安栄寺立ち寄り)→Nの地点(稲置街道説明板)→0.1km→Oの地点(八王子神社)→
     0.2km→Pの地点(解脱寺)→0.5km→Qの地点(久国寺)→0.3km→Rの地点(普光寺)→
     0.6km→Sの地点(片山神社)→0.3km→(21)の地点(長久寺)→1.4km→(22)の地点(オズモ
     ール西口)→0.7km→(23)の地点(地下鉄6番出口)→0.7km(地下道経由)→(24)の地点(山
     田天満宮)→0.2km→(25)の地点(広福寺・山田幼稚園)→1.3km(白山神社立ち寄り)→(26)
     の地点(長母寺)→2.3km→(27)の地点(三階橋ポンプ所))→0.4km→(28)の地点(上飯田駅)

日付:平成21年12月23日(水)、平成22年1月19日(火)
天候:いずれも晴れ
所要時間:一周約5時間10分(休憩を含まない)
歩行距離:20.2km

    コース地図を開く  ここをはじめてクリックするとプラグインのインストール画面が
            (初期値は1/7000)       表示されるので、「はい」をクリックする。不具合が発生した
                                 場合はこちらの「8」参照

                                 なお、念のため他のウィンドウをすべ閉じておくこと。


  (移動軌跡データファイルのみの呼び出し方法および地図の利用上の留意点)
 
1.この上にカーソルを当て、右クリックで「対象をファイルに保存」を選択し、デスクトップに「移動の軌跡
  データ」を保存します。ここでは、そのファイルは開かないでください。

2.国土地理院の電子国土ポータルへジャンプする。
3.国土地理院のプラグインのインストール画面が表示されたら、「はい」を選択する。
4.小さな日本地図が表示されるので、「ファイルを開く」(ボタンは画面右側の作図パネルの下部に隠れている)で、
  先ほどデスクトップに保存したファイルを指定して、それを開くと、地図の上に「移動の軌跡」が合成される。
5.この状態では、まだ地図の縮尺が小さいので、縮尺スケールが600mほどまで拡大して利用します。地図の表示
  窓が小さいので見にくいが、印刷結果はとても鮮明です。不要になったら、デスクトップのファイルは削除してくださ
  い。
  地図の呼び出し方について、詳しくはこちら

6.留意点
 (1)地図上の赤線はGPSよる移動の軌跡を、手書きで地図に転記したもので、実際の軌跡データとは若干の誤差が
   ある。
 (2)上記地図の経緯度線は「世界測地系」(GPSではWGS 84)に従い、目安として手書きで表示したものであり、各地
   点の表示は「秒」までに止めた。青線の間隔は10秒(横は約250m、縦は約300m)ごとである。
 (3)高度表示については、約5m〜10mほどの計測誤差がある(ほとんど低めに表示されてい る)。
 (4)地図と緯度経度の関連付けをより明確に知るにはカシミール3Dのホームページのフリーソフトを利用されたい。

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(各地点の説明)

   @地下鉄名城公園駅【北緯35度11分28秒 東経136度54分16秒】。この駅の西側一帯の名
     城公園(北園)は旧練兵場を整備したもので、昭和24年に公園となる。
     慶長15年(1610)に名古屋城が築かれると、ここに「御深井(おふけ)の庭」が造られた。
     中央には大きな蓮池があった。
     現在では、公園内にはジョギングコース、野球場、スポーツ会館などがある。この公園周辺
     の道路は土・日曜、休日は駐車可能であり、うれしい地区である。
   A長栄寺【北緯35度11分27秒 東経136度54分27秒】。通称豪潮寺という。尾張10代藩主
     徳川斉朝の命により、僧豪潮が愛知郡東郷村より文政6年(1823)にこの地に移した。
     名古屋城鬼門祈願所として栄えた。豪潮動物霊苑がある。
   B多奈波太神社【北緯35度11分35秒 東経136度54分21秒】。境内には樹木が鬱蒼と茂っ
     ていたので七夕の森ともいわれた。
     主祭神は天之棚機姫命で、古書にも「例祭7月7日の夕は灯を揚げて諸人参詣す」とあり、
     大正頃までは七夕の短冊飾りも盛大で、技芸上達の祈願で雑踏した。藩政時代は、東照
     宮の管轄で一般人は柵外よりの参詣で例祭日だけ垣内参拝を許された。
     戦火に見舞われ、現在の社殿は昭和39年(1964)に再建されたものである。
   C少林山西来寺【北緯35度11分44秒 東経136度54分19秒】。戦国時代、御深井字多利
     に地蔵院として開山。慶長年間、名古屋城築城計画により田幡村の現在地に移された。
     達磨大師尊信の尾張4代藩主吉通公の厚遇を受け、達磨大師の少林寺に因み、少林寺
     西来寺と改号。豪僧開田の逸話の山門は武家風門扉として有名。扉の上の部分に縦の
     桟を5本打っただけの透かしとなっているので寺の中から外を見ることができる。
   D志賀公園・平手政秀宅址【北緯35度12分09秒 東経136度54分18秒】。織田信長のため
     に諫死した平手政秀宅址を中心に造成された、回遊式庭園の公園である。
     享和2年(1802)に建てられた彼の顕彰碑は公園の真ん中付近の小さな杜の中にある。
     昭和5年に公園造成中、弥生式土器(揚り戸遺跡の一部)を多数出土し、弥生人渡来を立
     証し、考古学で注目された。出土品の一部は、市博物館と金城小学校に展示されている。
   E黄雲山光音寺【北緯35度12分32秒 東経136度54分09秒】。一説に足利尊氏創建とも言
     われる。庭の無縫塔は、室町時代のものといわれ、市の指定文化財である。女義太夫の
     名人豊竹呂昇の墓がある。
     彼女は明治31年に上京し、満都の人気を一身に集める。時に25歳。以後10年間が呂昇
     の全盛時代で、その美声と節回しが一世を風靡する。昭和5年に、57歳で死去。
   F八龍社【北緯35度12分39秒 東経136度53分59秒】。神明社同様石段を登った高台にあ
     る。六所神社、天神社、神明社、八龍社の4つを結んだところが矢田川のかつての流れ
     である。
     昭和7年から庄内川に沿って、矢田川を流す付け替え工事が始まり、流れは大きく変わっ
     た。
     八龍社の祭神は高寵神で、水の神だ。奈良の丹生川上より寛永9年(1632)に勧請した
     という棟札が残っている。
     本殿東側には御嶽講の明寛行者の碑がある。
   G聖徳寺【北緯35度12分40秒 東経136度53分54秒】。聖徳太子自作と伝わる像を本尊とし、
     安食次郎重頼が建てたと言われる。太子像は33年に一度しか開帳されない。最近では
     平成5年に開帳された。国の重文紙本白描絵因果経一巻(複製)がある。現物は名古屋
     市博物館にある。因果経は釈迦の本生譚を叙したものである。下部に因果経が書かれ、
     上部には経文の意味を記した画が描かれている。
   H神明社【北緯35度12分46秒 東経136度54分26秒】。中切村の村社で、改修前の矢田川
     と庄内川の間にあり、高い石組境内は、水難から免れるためのもの。付近民家も一段高
     い土地に建てられていた。この付近は庄内川と矢田川に挟まれ、幾度となく洪水に悩まさ
     れた。
   I成願寺【北緯35度12分53秒 東経136度54分59秒】。もとは常観寺といい、安食・山田一
     族の菩提寺であった。寺は昭和7年に始まった矢田川改修に伴いこの地に移された。
     寺伝によると行基作と伝えられる本尊の木造十一面観音菩薩立像は、平安朝時代の技
     法を残す彫刻として市指定文化財となっている。
     山田重忠による中興開山800年(平成21年)を記念し、全面改築。平成20年4月に訪れ
     た時は工事中だったが、このようなガラス張りの近代的な本堂に生まれ変わるとは考えて
     もみなかった。
   Jお福稲荷【北緯35度12分37秒 東経136度54分57秒】。小さい丘の上に御山神社、白龍神
     社が合祀されている。
     ここから西南の地域に安井城があったと伝えられており、天正年間(1573年頃)安井将
     監、浅野長勝によって築城された。山の神を祀った神社は安井城鬼門の守護神として創
     建されたとも言われている。ちなみに、秀吉の妻「ねね」は、浅野長勝の養女であった。
     このすぐ北側の惣兵衛川に沿ったコースは以前探索したことがる。
   K別小江(わけおえ)神社【北緯35度12分37秒 東経136度55分15秒】。式内六所神明と称号
     され、延喜式神名帳に尾張国山田郡式内従三位別小江天神と記されている。末社の八幡
     社は、安産の神と称され、世俗に、安井の里でできたわらを敷くと安産疑いなしと伝えられ
     ている。境内には清正橋の石や萩野村道路元標がある。
   L羊神社【北緯35度12分26秒 東経136度55分35秒】。延喜式神名帳にも記され、天保9年
     (1838)再建の本殿が現存する由緒ある社。辻の地名は、ひつじのつじに由来すると伝え
     られる。
   M八幡社【北緯35度11分55秒 東経136度54分54秒】。通称児子宮(ちごのみや)といい、末
     社の児子社は古来より虫封じの神として信仰が深い。代々尾張藩主も、幼少時に虫封じを
     さずかったといわれる。
   N稲置街道説明板【北緯35度11分24秒 東経136度54分54秒】。稲置街道の概要について
     は別項目で紹介済み。
   O八王子神社【北緯35度11分23秒 東経136度54分52秒】。もとは那古野の庄(名古屋城内)
     の亀尾天王社の地内に、若宮八幡宮とともに八王子社は三社で鎮座していた。慶長15年
     (1610)名古屋城築城に際し、神社を他の地に遷座することになり、くじ引きの結果、若宮
     八幡宮は府南に移り、八王子社は志水に移ることになった。亀尾天王社だけが城内の三
     の丸に残った。
     古来より小児の守り神として参詣者が多い。神社西南に、明治天皇御小休所の標柱があ
     る。
   P解脱寺【北緯35度11分26秒 東経136度54分48秒】。明暦3年(1657)、犬山城主が建て
     た薬師堂・小庵が始まり。貞享5年(1688)7月20日芭蕉が、竹葉軒長虹を訪ねて、粟稗
     の巻の七吟歌仙を興行した遺跡である。境内に俳聖芭蕉の句碑「粟稗塚」(稗粟にとぼしく
     もあらず草の庵)がある。説明板は国道41号沿いに立っている。
   Q天長山久国寺【北緯35度11分20秒 東経136度54分57秒】。慶長年間(1596〜1615)
     に、建立され、寛文3年(1663)に現在の地に移った。
     名古屋城の鬼門除けとして、本丸天長峰の名を借りて号とした。境内に、自然石の快台塚
     と白梵塔があるほか、岡本太郎作の梵鐘がある。
     すぐ南を東西に走るのが御成道である。尾張藩主が、大曽根下屋敷へ往来した道で、鷹
     匠町通りともいった。明治から大正にかけて、名古屋師団の兵士が小幡ヶ原方面へ行進し
     た道のため、兵隊道とも呼ばれた。
   R普光寺【北緯35度11分21秒 東経136度55分05秒】。御器所の竜興寺の僧、儀存和尚が
     天正5年(1577)に開基した寺である。弘法地蔵、金色の北大仏、典座教訓石造などがあ
     る。
     弘法地蔵は、大曽根の坂下にあった弘法井戸のかたわらに安置されていたものが城東町
     に移り、さらに昭和63年、この地に遷座した。眼病に効験があるという。
   S片山神社【北緯35度11分15秒 東経136度55分13秒】。社伝によれば和銅2年(709)の創
     建で、延喜式神名帳にもみえている古社である。お蔵王さまと呼ばれる。ひのき、けやき、
     いちょうの古木多く蔵王の杜の名残をとどめる。
     道路を挟んですぐ西側に地蔵院がある。付近は、尼ヶ坂近道といい、通行人がよく辻斬り
     にあった。その霊を弔うため、久国寺の八代霊梅笑山が、門前の六地蔵のうち一体を移し
     祀ったのが地蔵院の始まりという。
   (21)長久寺【北緯35度11分08秒 東経136度55分10秒】。この寺は、清洲城主松平忠吉が旧領
     の武蔵国忍城下(現、埼玉県行田市)で祈願所としていた寺を清洲に移したもので、慶長
     15年(1610)清洲越の際現在地に移され、豪壮な表門(薬医門形式)もその時に移建さ
     れた。
     境内にある庚申塔は、寛文8年(1668)武家からの寄付によるもので、当時武士の間に
     も庚申信仰があったことをうかがわせる。市指定文化財。
     寺の北裏には、著名な儒学者細野要斎が、明治11年(1878)68歳で没するまで住んで
     いた。
   (22)オズモール西口【北緯35度11分23秒 東経136度55分50秒】。「尾張名所図絵」に名古屋城
     下、北の唯一の関門として、陶器、生糸、木綿糸などの集散地として賑わった情景が記さ
     れている。その大曽根の集約ともいうべき大曽根地区商店街は、大曽根商店街(西地区)
     がOZモールへ、大曽根本通商店街(東地区)がオゾンアベニューへと生まれ変わり、新た
     にオズガーデンも誕生した。
   (23)地下鉄6番出口【北緯35度11分30秒 東経136度56分09秒】。場違いな感じがするが、この
     付近を下街道が通っていたので道標がある。以下の刻印あり。
     (西側)右 いゐたみち (北側)左 江戸みち ぜんくはうじみち (東側)延享元甲子二月(江
     戸中期 1744年) (南側)念仏講中。
   (24)山田天満宮・金神社【北緯35度11分45秒 東経136度56分17秒】。尾張初代藩主徳川義直
     が、菅原道真を神霊として祀ったもので、藩の学問祈願所であった。山田天神といい、矢
     田川天神橋の名もここに由来する。千種区の上野天満宮、中区の桜天神とともに、合格祈
     願のため参詣する受験生が多い。
     金(こがね)神社は、延享3年(1746)の創建である。昭和58年に山田天満宮へ合祀さ
     れた。その名にちなんでか、お金を洗うことができるようになっている。
   (25)広福寺(山田幼稚園)【北緯35度11分50秒 東経136度56分19秒】。廣福寺の経営する山
     田幼稚園の正門前には「山田重忠舊里(ふるさと)」の碑が、園庭北東隅には「贈正五位
     山田重忠朝臣之碑」があるが、塀で囲まれており外からはほとんど見えない。
     承久の乱で勤皇の雄として武勇をとどろかし、後に、山田の荘を治めた山田次郎重忠の
     館は、以前に金神社のあったこのあたりにあったと言われる。
   (26)長母寺【北緯35度11分47秒 東経136度56分41秒】。治承3年(1179)に山田次郎重忠
     が、母のために創建したものである。後年再建され無住国師を開山とした。重文「無住国
     師等身木座像」、市指定文化財「沙石集」版木がある。
     彼は、守山に、父親のために長父寺(現在の大永寺)と、兄のためには長兄寺(現在の
     長慶寺)を建てた。
   (27)三階橋ポンプ所・矢田川伏越樋【北緯35度12分28秒 東経136度55分50秒】。矢田川川底
     を伏越して三階橋付近に大きな貯水池をつくり、ここから庄内用水・黒川・御用水に分流し
     た。
     なお、この貯水池は「天然プール」の愛称で親しまれたが、昭和53年名古屋市下水道局
     の三階橋ポンプ所」の建設で埋め立てられた。
     夫婦橋のたもとには、木の桶を三段に積んだモニュメントがあり、下流の猿投橋まで「御用
     水跡街園」として整備されているとの説明板あり。
   (28)地下鉄上飯田線の上飯田駅【北緯35度12分17秒 東経136度55分47秒】。今回のゴール。
     上飯田線は平成15年3月27日に開通。

  【参考資料:「北区歴史と文化探索トリップ」(名古屋北ライオンズクラブ)】

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