大名街道その1(土岐市鶴里町〜駄知町)

大名街道といわれる街道は日本各地にある。ここでは岩村藩が、参勤交代や領内巡見、年貢米輸送などのために拓き、整備した藩専用の道をいう。岩村藩がこの道を拓いたのは三代将軍家光が参勤交代制を施行した後と思われるが成立時期ははっきりしない。
参勤交代の道は幕府の意図などにより、東海道と定められていた。岩村藩は経費を最小限にするため岩村を出て、柿野村三国山麓で三河に入り、挙母、岡崎と進む間、自領外は旗本馬場氏所領の釜戸村だけとする道を整備した。藩は積極的にこの道を利用し、政治・経済のための重要な道路として維持に努めてきた。人々はこの道を殿様道、殿様街道、大名街道と呼んでいた。
ただし、「岐阜県史」(岐阜県編)には、これとは逆の内容が記載されていた。つまり、参勤交代において、岩村藩主があえて江戸まで最も長距離となる大名街道を通ったのは、藩民にその威光を示すためであると同時に藩内巡視のため、とあった。
そこで、今回はこの旧街道を柿野から岩村城下まで歩いてみることにした。しかし、実際に歩いてみると、道が消失しており大回りしなければならない箇所が何箇所もあった。
なお、地図上に紫線で表示したコースは目的の街道ではないが、帰り道として歩いたので、参考までに掲載した。
また、実際は2回に分けて歩いたが、便宜上1枚の地図にまとめた。

コース:P 駐車地点→1.8km→@の地点(道祖神)→2.4km→Aの地点→4.2km(行き止まり
       コースを除く)→Bの地点(由来碑)→1.3km→Cの地点→0.4km→Dの地点→0.8km
     →Eの地点→1.1km→Fの地点→1.5km→Gの地点(大滝神社)→0.6km→Hの地点
     →0.2km→Iの地点(登山口)→0.2km→Hの地点→1.0km→Jの地点(永代橋)→
     0.2km→Kの地点(あずま橋)→0.4km→Lの地点(北山公民館)→0.4km→Mの地点
     (八王子神社)→0.7km→Nの地点(東竃橋)→0.8km→Jの地点(永代橋)

  【参考】 紫線コース・・・全長6.9km
     Nの地点(東竃橋)→0.6km→@の地点(道標)→3.1km→Aの地点→2.4km→B
     地点→0.8km→赤コースとの合流点
日付:平成22年5月3日(月)、6日(木)
天候:晴れ
所要時間:約4時間50分(赤コースのみで、休憩を含まない。)
歩行距離:18.0km(紫線コースの6.9kmを含まない)

    コース地図を開く  ここをはじめてクリックするとプラグインのインストール画面が
            (初期値は1/10000)      表示されるので、「はい」をクリックする。不具合が発生した
                                 場合はこちらの「8」参照

                                 なお、念のため他のウィンドウをすべ閉じておくこと。


  (移動軌跡データファイルのみの呼び出し方法および地図の利用上の留意点)
 
1.この上にカーソルを当て、右クリックで「対象をファイルに保存」を選択し、デスクトップに「移動の軌跡
  データ」を保存します。ここでは、そのファイルは開かないでください。

2.国土地理院の電子国土ポータルへジャンプする。
3.国土地理院のプラグインのインストール画面が表示されたら、「はい」を選択する。
4.小さな日本地図が表示されるので、「ファイルを開く」(ボタンは画面右側の作図パネルの下部に隠れている)で、
  先ほどデスクトップに保存したファイルを指定して、それを開くと、地図の上に「移動の軌跡」が合成される。
5.この状態では、まだ地図の縮尺が小さいので、縮尺スケールが600mほどまで拡大して利用します。地図の表示
  窓が小さいので見にくいが、印刷結果はとても鮮明です。不要になったら、デスクトップのファイルは削除してくださ
  い。
  地図の呼び出し方について、詳しくはこちら

6.留意点
 (1)地図上の赤線はGPSよる移動の軌跡を、手書きで地図に転記したもので、実際の軌跡データとは若干の誤差が
   ある。
 (2)上記地図の経緯度線は「世界測地系」(GPSではWGS 84)に従い、目安として手書きで表示したものであり、各地
   点の表示は「秒」までに止めた。青線の間隔は10秒(横は約250m、縦は約300m)ごとである。
 (3)高度表示については、約5m〜10mほどの計測誤差がある(ほとんど低めに表示されてい る)。
 (4)地図と緯度経度の関連付けをより明確に知るにはカシミール3Dのホームページのフリーソフトを利用されたい。

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(各地点の説明)

   P  駐車地点【北緯35度15分10秒 東経137度12分05秒】。愛知県と岐阜県の県境で、三国
     山山頂へ通じる道路の取り付け位置に金比羅神社(琴平社)があるが、そこの駐車場を利
     用。すぐ横には10体ほどの石仏がまとめて祀られている。
     また、50mほど北上した道路脇の駐車帯を利用することもできる。
     下に示した資料によると、このすぐ近くに柳田国男著書「秋山のスケッチ」の冒頭に出てく
     る「日迎えの松」がある、との説明があった。確かに松が数本あったが、日迎えの松かどう
     かは確認できなかった。
   @道祖神【北緯35度15分49秒 東経137度12分41秒】。かなり大きな碑で、裏面には昭和10
     年5月と刻まれている。このまま北東へ進むと、柿野の中心部に入るが、その付近の説明
     は飯田街道(中馬街道<瀬戸〜柿野>)および<柿野〜陶町>の項目を参照されたい。
   Aの地点【北緯35度16分39秒 東経137度13分40秒】。工場の正門左の道を進む。地図上に
     点線で示した道は発見できなかったので、そのままゴルフ場方面へ進んだ。ゴルフ場の
     フェンスに沿って池の西側を北上するとゴルフ場に出てしまったので引き返し、フェンス沿
     いに東へ大きく廻った。
   B大名街道由来碑【北緯35度17分17秒 東経137度13分46秒】。ゴルフ場の駐車場の方向を
     向いて、比較的新しい碑が建っていた。由来碑に刻まれている内容はこちら
   Cの地点【北緯35度17分41秒 東経137度13分18秒】。南から来る地道に合流。
   Dの地点【北緯35度17分49秒 東経137度13分26秒】。道が3つに分かれていたが最も左の
     道へ進んだ。次第に道は狭くなり、消えそうになる。
   Eの地点【北緯35度18分08秒 東経137度13分22秒】。中電の鉄塔巡視路案内標の地点で
     遂に道は消えた。案内標のbP2(13だったか?)の方向へ進む。やがて谷川を渡ると右
     の方に木間からちらっと人家が見えたので強引に薮の中を歩いて、民家の庭に出たので
     ほっとした。
   Fの地点【北緯35度18分33秒 東経137度13分19秒】。車が1台通れるほどの地道を下って
     いくと、ちょっとした広場に出た。行き止まりかと思ってよく見ると、左前方にかすかな道が
     ある。
     けもの道のような草むらを進むと、一部道が崩落していた。5m先には川沿いの道が確認
     できたので、思い切って川の中を歩き、先へ進んだ。
   G大滝神社【北緯35度19分08秒 東経137度13分44秒】。次第にはっきりしてきた道をひたす
     ら川に沿って歩き、神社に到着。神社の灯籠には寛政6年とある。眼下の川には小さな滝
     が見える。大滝とはこのことか。
     また、注連縄を巻いた神木の横には小さな碑(歌碑?)があるが、裏面の明治45年と幾人
     かの名前はわかるが、肝心の表面の文字は読めない。
   Hの地点【北緯35度19分22秒 東経137度13分47秒】。小高い位置にあり、駄知の町を一望
     できる。すぐ目の下には昭和48年に築造された煉瓦造りの煙突が見える。
   I夕立山登山口【北緯35度19分20秒 東経137度13分50秒】。道路から見上げる位置に「登
     山口」の札がぶら下がっている。機会があったら登ってみる積もりだ。
     もと来た道を戻り、Jの地点に向かう道路は所々に古い街道の雰囲気を留めている。
   J永代橋【北緯35度19分39秒 東経137度13分41秒】。古い町並みを歩いてきて、ふと足を止
     め、改めてあたりを見回すと、瀬戸と同じように山に囲まれ、町なかの川と、狭くて入り組ん
     だ路地が焼き物の町特有の雰囲気を醸し出しているのに気付く。
     南西方向150mの地点にある藤本内科医院の建物は戦前のもの?それとも昭和初期か。
     この町で、古い建物をいくつも見かけたが、古いからと言って切り捨ててしまわない心の豊
     かさ、広さに感心する。
   Kあずま橋【北緯35度19分45秒 東経137度13分42秒】。大正ロマンを思わせるような建物
     が建っている。駄知町小売商業協同組合という看板がかかっている。同ホームページに
     よると、この建物は昭和7年に東濃信用金庫として建てられたもので、その前を南北に貫く
     この旧街道については「休兵衛街道」(籠橋休兵衛に由来?)と表示されている。
     橋のたもとに旧あづま橋の親柱が保存されている。さらに、右手奥(東方向)には旧東駄知
     駅があった場所だ(昭和49年廃止)。
   L北山公民館【北緯35度19分56秒 東経137度13分52秒】。この場所は明治15年に成始
     学校が建ったのに始まり、以後駄知尋常小学校→駄知村役場→御嵩区裁判所駄知出張
       所などとして使われたと、その変遷を記した標石が立っている。それにしてもこの碑の隣の
     大岩はなんだろう。
     この付近に道路元標があるはずだが、見落とした。
   M八王子神社【北緯35度20分00秒 東経137度14分05秒】。この神社には天忍穂尊、活津
     彦根命など国を作られた神様が8人祀られている。
     記録によると明徳4年(1393)京都より勧請されたという。今から四百余年前に再建され、
     以後改築を繰り返し、最近では昭和11年に社殿が修理された。
     境内には愛宕神社、金比羅社などいくつかの神社が合祀されている。境内の南側部分は
     公園風で、水天宮をはじめとして、名士の顕彰碑がいくつも立っていた。
     神社の西側鳥居付近には道標があると資料には記載されていたが、発見できなかった。
   N東竃橋【北緯35度19分40秒 東経137度14分08秒】。参考資料によると、ここからJの地
     点までの道路は「巡見道」と呼ばれていたとのことだが、それらしき表示はなかった。
   
  (紫線の地点説明)
   @道標【北緯35度19分24秒 東経137度14分03秒】。ここ「東がま辻」(がま=火ヘンに土)
     には幸神と刻まれた碑に、かなり読みにくい状態だが、「右 おろし左 かきのころも」とある。
     ここから天狗沢橋を渡り、Aの地点へ向って林道天狗道を歩いたが、Aの地点に到着
     する直前まで長い、なだらかな上り坂(標高差180m)であった。
   Aの地点【北緯35度18分09秒 東経137度14分32秒】。バス通に合流。
   Bの地点【北緯35度17分15秒 東経137度14分39秒】。ここからは一部、以前歩いたことのあ
     る飯田街道(中馬街道)を歩く。

    【参考資料:鶴里町誌第三巻<通史編上>(鶴里町誌編纂委員会編集)、ふるさとの古道と歌
            碑(瑞浪市郷土史研究会)】

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