東海自然歩道 恵那コース(夕立山〜岩村駅)
のんびりした田園コースである。このコースは江戸時代に岩村藩主が参勤交代の際、柿野を経て東海道へ出るために利用した「大名街道」と呼ばれるコースとほぼ重なっていると聞き、参勤交代という大イベントの様子を想像しながら、歩を進めた。
なお、地図上の紫線は本来の東海自然歩道のコースではないが、帰り道、回り道として歩いたコースを参考に掲載したものである。
コース:駐車地点(威代寺)→1時間30分→夕立山休憩所→30分→岩村四季の里→20分→
根の上休憩所→5分→希菴塚→25分→岩村駅 →30分→希菴塚→5分→根の上休
憩所→25分→岩村四季の里→35分→夕立山休憩所→1時間35分→駐車地点(威代
寺)
日付:平成17年4月22日(金)
天候:晴れ
所要時間:全行程7時間
歩行距離:21.2km(紫線は含まない)
コース地図を開く ここをはじめてクリックするとプラグインのインストール画面が
(初期値は1/10000) 表示されるので、「はい」をクリックする。不具合が発生した
場合はこちらの「8」参照
なお、念のため他のウィンドウをすべ閉じておくこと。
(移動軌跡データファイルのみの呼び出し方法および地図の利用上の留意点)
1.、この上にカーソルを当て、右クリックで「対象をファイルに保存」を選択し、デスクトップに「移動の軌跡
データ」を保存します。ここでは、そのファイルは開かないでください。
2.国土地理院の電子国土ポータルへジャンプする。
3.国土地理院のプラグインのインストール画面が表示されたら、「はい」を選択する。
4.小さな日本地図が表示されるので、「ファイルを開く」(ボタンは画面右側の作図パネルの下部に隠れている)で、先
ほどデスクトップに保存したファイルを指定して、それを開くと、地図の上に「移動の軌跡」が合成される。
5.この状態では、まだ地図の縮尺が小さいので、縮尺スケールが600mほどまで拡大して利用します。地図の表示
窓が小さいので見にくいが、印刷結果はとても鮮明です。不要になったら、デスクトップのファイルは削除してくださ
い。
地図の呼び出し方について、詳しくはこちら
6.留意点
(1)地図上の赤線はGPSよる移動の軌跡を、手書きで地図に転記したもので、実際の軌跡データとは若干の誤差が
ある。
(2)上記地図の経緯度線は「世界測地系」(GPSではWGS 84)に従い、目安として手書きで表示したものであり、各地
点の表示は「秒」までに止めた。青線の間隔は10秒(横は約250m、縦は約300m)ごとである。
(3)高度表示については、約5m〜10mほどの計測誤差がある(ほとんど低めに表示されてい
る)。
(4)地図と緯度経度の関連付けをより明確に知るにはカシミール3Dのホームページのフリーソフトを利用されたい。
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(各地点の説明)
P 駐車地点【北緯35度25分10秒 東経137度22分53秒 標高 389m】。威代寺の駐車場を
借用。隣には真新しい自然歩道利用者のための休憩所とトイレあり。
丁度、この付近で歴史の道「大井道」と重複している。
@お茶屋場跡【北緯35度23分59秒 東経137度22分46秒 標高 632m】。朝早く岩村城を出
発してきた大名街道のひとつ目の休憩所で、殿様はここで駕籠をおり、お茶を飲みながら
しばしの休息をとったといわれている。
A夕立山休憩所。【北緯35度23分39秒 東経137度23分50秒 標高 692m】。四阿があり、恵
那山等をみながら休憩できるはずの場所であるが、今は樹木等が伸びて周囲の山は見え
ない(平成22年10月11日修正)。
B夜泣き松【北緯35度23分28秒 東経137度24分06秒 標高 636m】。乳児が夜泣きをする
時、この松の皮質部を削り、火をつけて燃やして見せるとたちまち泣きやむと伝えられてい
る。初代の夜泣き松はこの付近の人々が多く来て、皮質部を削ったのでついに枯れてしま
い、この夜泣き松は2代目である。
ここには道標(左 いわむら道 右 山田村道)も立っている。
C岩村四季の里【北緯35度23分10秒 東経137度24分37秒 標高 583m】。ラベンダー園、
薬草園、観光薬草園、コーヒーショップなどあり。
D根の上休憩所【北緯35度22分44秒 東経137度25分07秒 標高 494m】。神明神社の東側
に高札場と古井戸およびトイレがある。
神社境内には杉の巨木、多くの石仏・墓石がまとめて祀られている。
神社西側の分岐点には道標があるが判読できなかった。
なお、別途ここから南へ約1kmの地点にある武並山に登った際の記録はこちら。
E希菴塚【北緯35度22分44秒 東経137度25分27秒 標高 493m】この付近で殺害された
戦国時代の名僧「希菴禅師」の墓。
F希菴橋【北緯35度22分45秒 東経137度25分31秒 標高 485m】。希菴禅師はここで殺され
たという。
橋のたもとには一石三十三観音(享和3年<1803>)がある。あたりの景色は日本の原風
景ともいえるのどかな里山が広がっている。
注)平成22年10月11日にこの付近を再度歩いたので、説明文及び地図を一部修正した。