| ◆2日目:6月4日(日)◆
 
 ●<ヒルトン・アルク・ドゥ・トリオンフ・パリでの初めての朝食>
 
 5時に目が覚める.
 この時間もとても明るい.
 私はまだパリの暗闇を知らないのだ.
 
 シャワーを浴びて,7時から1階のレストラン「Le Safran」で頂いた朝食券を利用しての朝食.
 ちなみに朝食の時間は7時から10時30分である.
 店内はどちらかというと薄暗い落ち着いた雰囲気である.
 コーヒーや紅茶の他にオレンジジュースは店員が注いでくれる.
 オレンジジュースは生絞り風味で大変美味しい.
 コーヒーを注文すると温めたミルクも一緒に来るので,美味しいカフェオレが楽しめる.
 私の中ではパリの朝食はクロワッサンとカフェオレというシンプルなイメージがあったが(以前宿泊したプチホテルはそうであった),ヒルトンのカフェはあまりフランスを感じさせない朝食であった(笑).
 夫曰く,「どこの国でも一緒だよねー」.
 スモークサーモンやハム,チーズなどの冷たい料理からソーセージ,スクランブルエッグ,ハッシュドポテト,焼きトマト,ベーコンなどの温かい料理までヨーロッパやオーストラリアなど(海外はこれくらいしか宿泊したことないので,その他の国は分からないが)のヒルトン共通メニューという感じである.
 日本でもこのようなおかずはあるが,さらに和食があるのでかなりバラエティに富んでいると思う.
 でもこの見慣れた料理が異国の地にもあるとちょっとホッとする.
 その他,生野菜(葉もの,トマト,キュウリ,横に豆腐もあった)や果物,ヨーグルト,パンといった具合である.
 無料で朝からこれだけ食べられるのはありがたいことである.
 パンの種類もヨーロッパらしいものが並んでいたが,私はクロワッサンとチョコデニッシュ(これが大好きで常に機会があると食べている)をいただいた.
 数種類のジャムを試してみたが,どれも美味しかった.
 オレンジジュースとパンとジャムで十分満足である.
 
 
 ●<電車に乗ってお出かけ>
 
 実は今日の予定はパリ市内をふらふらしようと思っていた.
 しかし,昨日のシャンゼリゼ通りの激しい混雑が嫌になった私達は急遽,パリ市内を脱出することにした.
 行き先はパリ近郊にあるオーヴェル・シュル・オワーズ(Auvers-sur-Oise).
 ここはゴッホの終焉の地なのである.
 彼の代表的作品「オーヴェルの教会」(オルセー美術館にある)はこの村に実在し,この作品が特に気に入っていた私はいつか行ってみたいと思っていた.
 最近,年を取ったせいか,最期の地を訪れる機会が増えてきた(去年はルードビッヒ2世の最期の地であるシュタンベルク湖に行った).
 子供の頃,家族で旅行に行くと,父は決まって,歴史上の大人物のお墓や碑に行きたがっていた.
 最初は一緒にしぶしぶついて行ったが,ある程度の年齢になると私と妹は父とは離れて現地で別行動をしていたことを思い出した(笑).
 やはり,加齢と共に人の興味の対象が変わるものであることをしみじみ思う(ああ,私も年をとってしまったものだ...).
 オーヴェル・シュル・オワーズへはパリ北駅から電車に乗っていくので(突然,決まったので慌ててガイドブックで調べた),ついでにパリ北駅でベネルクス・フランスパスのヴァリデーションとブリュッセル行きのタリスのチケットを購入することにした.
 
 7時50分に部屋を出る.
 ヒルトン・アルク・ドゥ・トリオンフ・パリから最も近いメトロの駅はクールセル(Courcelles)駅で,歩いて5分程度である.
 ここの窓口で回数券(カルネ)10枚を購入.10.7ユーロ.
 パリのメトロは距離に関係なく,全線均一料金であり,1.4ユーロである.
 今回購入した回数券は10枚のバラバラの切符になっており,2人でそれぞれ使う事ができるので,パリ滞在中はこの回数券のお世話になった.
 La Chapelle駅で降り,ここから連絡通路を歩くと北駅(Gare du Nord)へ到着.
 駅についてからも国際列車乗り場までは遠い.
 大きな荷物を持っているとちょっと大変かもしれない(...と言いながら我が家は後日,このルートでブリュッセルまで移動することになってしまった).
 
 ようやくユーロスターやタリスの発着する乗り場に着いたが,肝心のパスをヴァリデーションする場所が分からない.
 そういえば,アムステルダムでも迷った事を思い出した.
 手前の窓口で聞いてみて,言われた方向に行く.
 一番奥にはインターナショナルセンターらしきものがあるかそこはクローズしており,手前の切符売り場でヴァリデーションしてもらえた.
 これで今日からパスが使える.
 ついでにタリスの予約もすれば良かったが,頭が回らず,再度,別の窓口で特急券を購入.
 パスを持っていれば追加料金(11ユーロ)を払えば,タリスにも乗る事ができる.
 
 
 ●<ゴッホの終焉の地へ>
 
 無事,やらなければいけない事は終了したので,オーヴェル・シュル・オワーズへ向かう.
 ここからは高速郊外鉄道RERとSNCFの共通路線に乗るので,持っている鉄道パスを利用することができる.
 そして,9時32分発のポントワーズPontoise行きの電車に乗る.
 途中までは人がそれなりに乗っていたが,終点近くになるとほとんど人がいなかった.
 もちろん観光客らしい人はいなかった.
 驚いた事にメトロもそうであったが,アナウンスが一切無いので,次の駅名をチェックしないといけない.
 
 10時25分頃,ポントワーズ到着.
 この後,電車を乗り換えるのであるが,電光掲示板が不調でどの電車に乗っていいか分からない.
 ホームはそれなりに大きいのであるが,人もほとんどおらず,簡単に数えられる程であった.
 私達と同様にどの電車に乗っていいかわからない女性もおり,一緒に悩んでしまった.
 最終的にようやくホーム番号が分かったのであるが,私達の電車は単線のディーゼル車であった.
 車内はほとんどガラガラ.
 地元の若者の集団が乗っているくらいである.
 外国人の私達はかなり違和感がある.
 しばらく,雄大な田舎を走り(この景色が素晴らしい),約10分(あまり記憶がないが)で目的のオーヴェル・シュル・オワーズ(Auvers-sur-Oise)駅に到着.
 たくさん人が降りると思っていたが,私達以外に一人しか降りなかった.
 
 
 ●<オーヴェル・シュル・オワーズを散策>
 
 帰りの電車の時刻を調べて(やはり本数がとても少ない),ガイドブックを頼りに観光案内所の方へ歩く.
 駅付近はお店もなく,人も見かけず,車しか通っていなかったので,大変心配であった.
 しかし,村役場の方に歩いていくと,お店や人が増えてきて賑やかになってきたので,ホッとした.
 駅から観光スポットまでは近いのであるが,ほとんどの人はバスツアーや車で来ているらしいようだ.
 確かに電車は本数が少ないので,面倒かもしれない.
 
 観光案内所(ここも素敵な建物)は人がたくさんいてカウンターには近寄れなかったので,簡単なパンフレットだけ貰って外に出る.
 すると,ゴッホの絵の複製の看板があった.
 この場所で彼はその絵を描いたらしい.
 ゴッホに憧れていた私にとってはとても感動する場所である.
 実はオーヴェル・シュル・オワーズはこのようなスポットがあちこちあるので,そこを訪れるというのも目的の一つであった.
 またこの村はセザンヌ,ピサロ,ドービニー,ルノワールらのゆかりの地とのことである.
 
 観光案内所の斜め向かいにある「ゴッホの家(Maison de Van Gogh)」へ行く.
 ここはゴッホが自殺するまでの2ヶ月の間住んでいた下宿だそうだ.
 ゴッホはピストル自殺を図った後,自力で3階の部屋まで戻り,2日間苦しんだ末に息を引き取ったとのことだ.
 建物はヨーロッパ風の素敵な家で,この1階は現在,レストラン「ラヴー亭」として営業している.
 入場料5ユーロ.
 入場券売り場横にトイレもあった.
 狭い階段を登り,住んでいた部屋を見ることができ,またゴッホの生涯と作品をたどるビデオが上映される.
 音楽と映像のみで,日本語の解説も出るので,理解しやすい.
 ちょうど日本人の団体客と一緒になった(映像を見た時は日本人ばかりであった).
 
 その後,「オーヴェルの教会」の場所である「ノートルダム教会(Eglise Notre-Dame)」へ向かう.
 この村は緑も多く,家も素敵でどこも絵になりそうな雰囲気である.
 イギリスのコッツウォルズを思い出した.
 天気も大変良いので,さらに景色が美しい.
 「私達は人の多い都会よりも田舎にいる方が合うみたいだねー」と話しているうちに,憧れの教会に到着.
 この教会を見てゴッホがあの素晴らしい絵を描いたと思うと,感慨深いものがある.
 
 
  憧れの「オーヴェルの教会」.右側の看板がゴッホの絵の複製.
 
 ここから坂道を歩いていくと,急に視界が開け,彼の絵にも登場する広大な麦畑が現れ,右手からは周辺の美しい村の景色を見渡す事ができる.
 ここにもゴッホの絵の複製があった.
 さらに進むとゴッホの墓がある墓地(Cimetire)に着く.
 左の壁沿いに彼のお墓はある.
 そして,そのすぐ隣には弟のテオのお墓があり,兄弟仲良く眠っているのだ.
 ゴッホはテオに看取られながら息を引き取ったのであるが,その半年にテオも亡くなってしまう.
 そして最後に代表作の一つである「カラスの群れ飛ぶ麦畑」の描かれた場所(普通の麦畑であるが)に行き,駅に小走りで戻る.
 
 
  ここの場所であの「カラスの群れ飛ぶ麦畑」が描かれたそうだ.
 
 電車の時間がなかったので,慌しくなってしまったが,もう少し,のんびりしていたい印象的で素敵な村であった.
 
 
 
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