大名街道その4(瑞浪市釜戸町豊拓神社〜岩村城址)

今回は、末尾の参考資料に紹介されている旧街道を、場所によってはなかなか発見できず、回り道したり、反対方向から探索したりしていたので地図が複雑になり、申し訳ありません。
とりあえず、前回の終点「豊拓神社」(@の地点)に近い豊拓公民館跡(Aの地点)に車を置いて周囲を探索した。
旧街道は豊拓神社から南東方向へ伸びているはずだが、300mほど進むと直進する道は消失。突き当たりの山の中を探したが道は発見できず諦めて引き返し、迂回路として水色のコースを進んだ。ただし、1976年の国土画像情報閲覧システムの空中写真をを見ると、なんとなく道は確認できる。なお、このシステムの利用に先立って「利用許諾条件」を確認してください。
道の駅(Eの地点)から先も同様で、旧街道は資料によると山越えをしているらしい。しかも、こんなに急な谷を通っていたなんて!?・・・。
そこで、迂回して水色のコースを歩き、Gの地点から東海自然歩道を南下した。この自然歩道は、かつて岩村城下から中山道へ出る道として利用されていた。
Hの地点から東へ延びる道は東海自然歩道に指定されており、所々に大名街道の説明板が立っていた。ここは以前歩いた道でもあり、問題なく岩村の城下にたどり着くことができた。
岩村の古い町並みはOの地点〜Qの地点であるが、見どころが多くそれらを地図に表示するとごちゃごちゃになってしまうので省略した。岩村町観光協会など他のWebページを参照されたい。
木村邸、浅見邸などの旧家を丁寧に見たり、西の端の武並神社から町全体を眺めたり、さらに岩村城址まで歩いて登るとそれだけで充分1日楽しめる。
コースの色分けは、赤コースが旧街道とほぼ一致するコース、水色コースは旧街道の代替コース、紫コースは街道旅とは直接関係のない寄り道・道草コースとして歩いた道を参考までに掲載したものである。
なお、地図に表示したコースは、数回に分けて歩いた結果であるが、便宜上1枚の地図にまとめた。

コース:@の地点(豊拓神社)→0.5km→Aの地点(豊拓公民館)→2.5km→Bの地点→0.6km
     →Cの地点(目垂の観音堂)→0.9km→Dの地点→0.4km→Eの地点(道標)→0.7km
     →Fの地点(道の駅)→2.7km→Gの地点→2.0km→Hの地点(お茶屋場跡)→2.0km
     →Iの地点(夕立山休憩所)→0.4km→Jの地点(道標)→0.3km→Kの地点(夜泣き
     松)→0.2km→Lの地点→2.4km→Mの地点(高札場)→0.6km→Nの地点(希菴塚)→
     3.1km(武並神社および石室千体仏立ち寄り)→Oの地点→0.7km→Pの地点(枡形)
     →1.8km(岩村神社、盛厳寺、浄光寺に立ち寄り)→Qの地点(常夜灯)→0.4km→Rの
     地点(歴史資料館))→0.8km→Sの地点(岩村城址)  
日付:平成22年10月2日(土)、7日(木)ほか
天候:いずれも晴れ
所要時間:約6時間(赤コースと水色コースで、休憩を含まない。)
歩行距離:23.0km(赤コースおよび水色ースのみ)

    コース地図を開く  ここをはじめてクリックするとプラグインのインストール画面が
            (初期値は1/12000)      表示されるので、「はい」をクリックする。不具合が発生した
                                 場合はこちらの「8」参照

                                 なお、念のため他のウィンドウをすべ閉じておくこと。


  (移動軌跡データファイルのみの呼び出し方法および地図の利用上の留意点)
 
1.この上にカーソルを当て、右クリックで「対象をファイルに保存」を選択し、デスクトップに「移動の軌跡
  データ」を保存します。ここでは、そのファイルは開かないでください。

2.国土地理院の電子国土ポータルへジャンプする。
3.国土地理院のプラグインのインストール画面が表示されたら、「はい」を選択する。
4.小さな日本地図が表示されるので、「ファイルを開く」(ボタンは画面右側の作図パネルの下部に隠れている)で、
  先ほどデスクトップに保存したファイルを指定して、それを開くと、地図の上に「移動の軌跡」が合成される。
5.この状態では、まだ地図の縮尺が小さいので、縮尺スケールが600mほどまで拡大して利用します。地図の表示
  窓が小さいので見にくいが、印刷結果はとても鮮明です。不要になったら、デスクトップのファイルは削除してくださ
  い。
  地図の呼び出し方について、詳しくはこちら

6.留意点
 (1)地図上の赤線はGPSよる移動の軌跡を、手書きで地図に転記したもので、実際の軌跡データとは若干の誤差が
   ある。
 (2)上記地図の経緯度線は「世界測地系」(GPSではWGS 84)に従い、目安として手書きで表示したものであり、各地
   点の表示は「秒」までに止めた。青線の間隔は10秒(横は約250m、縦は約300m)ごとである。
 (3)高度表示については、約5m〜10mほどの計測誤差がある(ほとんど低めに表示されてい る)。
 (4)地図と緯度経度の関連付けをより明確に知るにはカシミール3Dのホームページのフリーソフトを利用されたい。

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(各地点の説明)

   @豊拓神社【北緯35度24分39秒 東経137度19分50秒】。前回の終点で、今回はここから出
     発する。旧街道は豊拓神社から南東方向へ伸びているはずだが、300mほど進むと山に
     突き当たり、直進する道は消失。右方向へ下る道があったが、少し進むと行き止まりだっ
     た。
     元へ戻って、突き当たりの山の中へ踏み込み、薮の中を探したが道は発見できず諦めて
     引き返えした。
   A豊拓公民館【北緯35度24分41秒 東経137度19分58秒】。戦前のものと思われる建物が
     広場の奥の方に建っていた。今は使用されていない?
     かなり広い平らな広場に建っているのでかつて学校だったかもしれない。
     広場の真ん中には、「陸の孤島」だったこの地区に道路が開通した記念碑「拓魂」(昭和
     38年)が建っていた。
     他に、広場の片隅には豊拓稲荷、牛頭観音などが祀られていた。
   Bの地点【北緯35度24分43秒 東経137度21分03秒】。この地点で車が1台やっと通れるほ
     どの道を南下。
   C目垂(めだれ)の観音堂【北緯35度24分36秒 東経137度20分51秒】。歴史については不
     明だが、天保10年の庚申碑や馬頭観音などが境内に並んでいたので、かなり古いものと
     思われる。
      Dの地点【北緯35度24分22秒 東経137度21分00秒】。ここで合流したのが旧街道だろう。
     ただし、その雰囲気はまったくない。旧街道が通っていたと思われるコースを北西に歩い
     たが、人家が途切れるあたりから道はかなり荒れており、踏み込まない方がよい。
   E道標【北緯35度24分17秒 東経137度21分08秒】。「右ハあけち 左ハいわむら 文化7年」
     と読める。
   F道の駅【北緯35度24分20秒 東経137度21分30秒】。 道の駅「そばの郷 らっせぃみさと」
     では、ソバ打ちの体験ができる。
   Gの地点【北緯35度24分51秒 東経137度22分49秒】。ここで威代寺方面からの東海自然歩
     と合流。
   Hお茶屋場跡【北緯35度23分59秒 東経137度22分46秒】。朝早く岩村城を出発してきた大
     名街道のひとつ目の休憩所で、殿様はここで駕籠をおり、お茶を飲みながらしばしの休息
     をとったといわれている。
     この地点から林道を西北西へ歩いてみた。この林道は旧街道のコースに近いように思わ
     れるが、結局、Bの地点で行き止まりだった。
   I夕立山休憩所。【北緯35度23分39秒 東経137度23分50秒 標高 692m】。四阿があり、恵
     那山等をみながら休憩できるはずの場所であるが、今は樹木が伸びて周囲の山は見え
     ない。
   J道標【北緯35度23分36秒 東経137度24分00秒】。「右ハおうい道 左ハかまど道」とある。
   K夜泣き松【北緯35度23分28秒 東経137度24分06秒】。乳児が夜泣きをする時、この松の
     皮質部を削り、火をつけて燃やして見せるとたちまち泣きやむと伝えられている。初代の
     夜泣き松はこの付近の人々が多く来て、皮質部を削ったのでついに枯れてしまい、この夜
     泣き松は2代目である。
     ここには道標(左 いわむら道 右 山田村道)が立っている。
   Lの地点【北緯35度23分21秒 東経137度24分08秒】。西側は別荘地だろうか。一部には廃
     屋となった建物も見える。
   M高札場【北緯35度22分44秒 東経137度25分07秒】。東海自然歩道の休憩所(根の上休
     憩所)にもなっていて、神明神社の東側に高札場と古井戸およびトイレがある。
     神社境内には杉の巨木、多くの石仏・墓石がまとめて祀られている。
     神社西側の分岐点には道標があるが判読できなかった。
     なお、別の機会にここから南へ約1kmの地点にある武並山に登った際の記録はこちら
   N希菴塚【北緯35度22分44秒 東経137度25分27秒】この付近で殺害された戦国時代の名
     僧「希菴禅師」の墓。
     すぐ近くの希菴橋のたもとには、一石三十三観音(享和3年<1803>)がある。
   Oの地点【北緯35度22分02秒 東経137度26分06秒】。この地点は町並みの西の端でQの
     地点(常夜灯)まで古い町並みが続き、通りは見どころが満載である。
   P枡形【北緯35度21分59秒 東経137度26分25秒】。道路はここで枡形になっており、北側に
     庚申堂がある。
     これより東側の地区は、江戸時代から商家町として栄え、商家の中庭には天正疎水と呼ば
     れる水路が今も通っている。
     また、これより西は岩村電気鉄道の開通により順次発展してきた地区である。
   Q常夜灯【北緯35度21分50秒 東経137度26分43秒】。ほぼこの付近が町並みの東の端で
     ある。常夜灯の正面に「太神宮」、右に「金毘羅大権現」、左に「秋葉大権現」とあり、寛政
     七年再建されたものである。
   R歴史資料館【北緯35度21分51秒 東経137度26分51秒】。岩村800年の歴史遺産が展示
     されている。
     正面入口の佐藤一斎翁像の台石には小泉純一郎元首相の揮毫による銘板がはめ込まれ
     ている。
   S岩村城址【北緯35度21分36秒 東経137度27分05秒 標高717m】。城址では発掘作業が
     行われていた。今はやりの埋蔵金探しか。まさか!

  (紫線の地点説明)
   @常久寺【北緯35度24分13秒 東経137度21分06秒】。碑文によれば「室町時代文亀元年
     (1501)京の修行僧月光禅師は全国行脚の途、この里に来り留錫。杉ヶ洞に草庵をむす
     び本如実性禅師(景川)を勧請開山として龍遊山常久禅寺と号して開創す。」
   A道標【北緯35度24分12秒 東経137度21分15秒】。比較的新しい(昭和初期?)もので、正
     面に「恵土街道 遠山村をへて明智町、岩村町」、側面には「右 かまど駅に通ず 右 大井
     駅 武並駅」とある。
   Bの地点【北緯35度23分57秒 東経137度22分01秒】。林道の終点で、ここまで車を乗り入
     れることができる。
     上記Aの道標は民家の玄関前に設置されているが、そこの住人の話では「二十数年前
     にこの地点付近の樹木が大がかりに伐採された時期があり、その時は佐々良木地区が
     一望でき、特に当時の棚田はみごとだった」と、当時山頂付近から撮影した写真を見せて
     くれた。
   C三角点「上平」【北緯35度23分55秒 東経137度22分05秒 標高657.1m】。薮の中に赤白
      の測量用ポールが立っていた。
   D隆崇院【北緯35度22分11秒 東経137度26分15秒】。明治4年に岩村藩最後の藩主松平
     乗命のもとに嫁いだ釣姫(尾張徳川斎荘の四女)の墓所がある。墓の前には以前は扉が
     あったのだろう、今は石柱が2本立っているのみ。墓石には「清月院殿徳川氏諱釣墓」と
     刻まれている。
     また、この寺のすぐ東にある岩邑小学校の校門は長屋門で、その一室には孔子像が掲
     げられている。
   E八幡神社【北緯35度21分30秒 東経137度26分49秒】。従来、岩村城内にあったが、明治
     6年(1873)岩村城の廃城にともない現在地に遷宮され今日に至る。

    【参考資料:鶴里町誌第三巻<通史編上>(鶴里町誌編纂委員会編集)】

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